2017年8月19日 (土)

ご配慮ありがとうございます

新人研修や彼らの職場指導するメンター研修などで、気を付けていることの一つに、「教えすぎないこと」があります。ネット時代に育ってきた彼らは、通常の社会生活の中で、分からないことがあると、即スマホで検索、一発回答が得られます。学生時代のアルバイトも、ほとんどはマニュアルのある作業を与えられることが多く、それが仕事だと思っている人が少なくありません。

会社の仕事は、マニュアルのある仕事で徹底的に教え込む仕事と、マニュアルがなく考えて仕事をしてもらうため決まった解がない仕事に分かれます。先輩に聞いても教えてくれないので、戸惑いが生じたりします。そんな彼らのために、配属先での仕事の様子や難しさを感じている問題があれば、配属後、半年たってからのフォローアップ研修でクリアにしてもらいます。

「ご配慮ありがとうございます」という言葉は、恒例のフォローアップ研修のオリエンテーションで、新人の質問に答える弊方の担当者の第一声でした。具体的には、これから行われるフォロー研修が、テーマによりクラスが分れ、ワールドカフェ形式で、時間ごとに移動するタイムスケジュールについて、「いろいろの部署の新人を振り分けて、順次回していくのが、時間通り、できないではないか」という新人からの疑問点でした。

「ご配慮ありがとうございます」は、何年もこの研修を担当しているベテランが、入社1年目の新人にいう言葉としては丁寧すぎると思われるかもしれませんが、「大丈夫です。何年もこの研修を行っていて、問題なくやれています。」と、即答しないところに意味があるのです。まず、相手に敬意を払いながら、具体的になぜ問題があると考えたのか、質問しながら、他の新人たちと疑問を共有して、みんなに考える時間を与えたのです。

最終的には、「大丈夫です。問題なくやれます。」という答えだったのですが、「ご配慮ありがとうございます」という丁寧な言葉使いには、新人とはいえ、大人扱いをしているつもりでいるのです。現に、このフォロー研修が終わり現場に戻った彼らは、新人扱いされることなく、「大人扱い」されて、立派なチーム一員として活躍してほしいからです。

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2017年8月 5日 (土)

当事者意識のない人

当事者意識とは、その言葉のままですが、言葉でいうほどその意識を持つことは簡単ではありません。新入社員研修では、学生から社会人になる意識の持ち方の違いを、仕事人の役割として説明することで、当人たちに当事者意識を持たせることはできます。しかし、二年目、三年目になるにつれ、与えられた仕事なり、雑用なりが自分の仕事だと思っていない人が出てきます。

具体的には、その仕事は上司の仕事であって、それを手伝っているという意識しか持たない人で、あえて意識して当事者意識が薄いのか、無意識に薄いのかは分かりませんが、実際にその仕事に関わっているのに、まるで他人事のような振る舞いや発言をする人がいます。環境がそうさせてしまったこともありますし、そもそもそういう人だったのかもしれません。

当事者意識を持てない人に共通しているのは「責任から逃れようとしている」ことです。そして、責任を追及されると、例外なく「自分には関係ないと思った」「知らなかった」など言い訳をします。部下がどんなに優れた能力を持っていても、問題意識に乏しく、当事者意識を持ちたがらないなら、結果としてその人は能力を発揮していないことになります。こんな人がリーダーになったら、部下はたまったものではありません。

管理職候補の研修で「こんな上司になりたくない」を反面教師とて上げてもらうと、「肝心なところで逃げる」「責任をとろうとしない」が上位を占めます。明らかに当事者なのに「知らない!」「関係ない!」と言い張り、責任をとろうとしない、というのです。「責任をとろうとしない」というより、本気で「自分は悪くない!」と思っているから始末に負えないのです。

当事者意識は、英語では「Sense of Ownership」というそうですが、「当事者意識を持ってほしい」と感じるとき、その「当事者意識」は「オーナーシップ」と言い換えることができるかもしれません。オーナーシップとは、自分の担当する仕事を、命じられたからやるという消極的な向き合い方ではなく、自分自身の課題として主体性をもって取り組む姿勢をいいます。「当事者意識を持て」というより「オーナーシップを持たせる」方が早道なのかもしれません。

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2017年7月22日 (土)

窓から飛び降りなさい

これは埼玉県の所沢市立小学校の男性教諭が、担当する4年生のクラスで、ほかの児童ともめた男子児童を指導する際に言ったとテレビで伝えられたびっくりニュースです。市教委の発表によると、「窓から飛び降りなさい」、「明日からはくるな」などと迫ったほか、全34人のクラスに「明日からは33人でやっていこう」と発言したというのです。

このところ、お茶の間は、加計学園問題や、大臣などの不用意な発言のニュースで、与野党の攻防の様子が報じられていて、このような学校での不祥事は、かすんでしまいます。マスコミの報道は、毎日のように報じられる、政府寄りのチャネルとそうではない反政府報道の両方を比較することで、私たちは、おおよそのことは理解できるのですが・・・。

男性教諭と同校長は事実関係を認め、保護者らに謝罪する一方、学校側は、男性教諭と児童を当面、接触させない措置をとりつつ、全校児童に説明するほか、「心のアンケート」を実施し、全児童への心のケアを行う予定とのことです。市教委は、たいしたコメントもなく、「誠に遺憾」としながら、さらに詳しく調べる方針だそうです。

嘘をついているかもしれない官邸、証拠資料を隠したがる官僚かも知れませんが、今回も教育の現場では、「誠に遺憾」というだけで他人事(ひとごと)の教育委員会、いわれたから謝罪した、事なかれ主義の学校側という構図は、相変わらずで、どこか可笑しい、思いながらも、そのままやり過ごす当事者意識が薄い私たちがそこにいます。

いじめ問題も含め、このような学校の不祥事は、ことが起きるたびにニュースとして取り上げられるのですが、これらは一部の学校で、いじめのない学校、不祥事のない学校は沢山あると思います。熱血漢の先生、クラス全員に慕われる先生、授業をアイデアで生徒を巻き込む先生、などなど、これらのニュースを日ごろから流してくれるマスコミ媒体はないのでしょうか?

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2017年7月 8日 (土)

リーダーの育成

リーダーの役割は、よくPM理論とSL理論の対比で、いろいろ言及されます。ただ、集団活動においてはP(目標達成のパフォーマンス)とM(組織のメンテナンス)につきるのですが、こと人材育成にあっては、「部下の成熟度によってリーダーシップの取り方が異なる(SL)」という考え方が近しいのかもしれません。PMにE(教育する)を加えてPMEモデルとして、人材育成の重要性を説かれる先生もおられます。

「部下や後輩を育てる」というテーマでの研修では、リーダーシップの強いリーダーほど、仕事の振り方が、属人的であったりします。コミットする意思と能力の高い人を好んで登用するのか、当然、部内での仕事の偏りが生じたりします。仕事を遂行するための教育や経験から選んでいるようで、できない人に頼むより「自分でやってしまう方が早い」といった、まったく人を育てる必要を感じていないように見受けられます。

後輩を育てるといえば、新人の受け入れをするメンター(チューター)の場合、誰を指導するのかはっきりしていて、2人体制であろうと、1対1であろうと、自分の仕事をこなしながら、時間をつくり、職場指導をします。もちろん、育成期間が1年とか比較的短いこともありますが、新人を一人前に育て上げるのです。これに比べて部下を育てるマネージャーとなると、誰を、いつまでに、どのように育てるのか、決まったものがありません。

自分のチーム内で、仕事の偏りを少なくすること、個々人の仕事のレベルを上げるための育成ですが、まずは「仕事を任せる」ことができているか。その仕事を理解してもらうために、自分の仕事を見せ、一緒に仕事をして、一人でやらせて見守り、評価をして、動機づけをする。これだけ力を注ぐ時間があるのか。なければ時間をつくれるのか。時間がない、という御仁は、部下の育成は急務でない、ということでしょうか?

時間をつくるためには、いつも自分の仕事の時間活用が必要です。特に、「緊急でないが重要」な仕事を優先的に考えること。さらに「重要でもなく、緊急でない」仕事は、やるべき仕事ではなく、やめるべき仕事である、と心得ること。そうでないと、いつまでたっても時間などつくることはできないと思います。

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2017年6月25日 (日)

タイムマネジメント

タイムマネジメントといえば「時間管理」と訳されていることが多いと思いますが、実際、時間というものは管理できるものではありません。マネジメントというと、「チームマネジメント」「プロジェクトマネジメント」「リスクマネジメント」もそうですが、どれ一つとっても「マネジメント=管理」では間違った捉え方になります。

もともとManagement(マネジメント)という名詞が、Manage(マネージ)という「取り扱う、上手な処理を行う、何とかする」動詞からきているとすれば、「管理」というより、むしろ「有効に活用する」ということでしょうか。それであるなら、「ボスマネジメント」「コストマネジメント」「ストレスマネジメント」という表現も、何となくわかるような気がします。

さて、タイムマネジメントに話を戻しますと、その目的は「時間を管理する」のではなく、「時間を作り出す」ことにあります。それも、自己啓発のように、その狙いは「自分のために」というのと、人材育成のように「人のために」いう二通りの場面があります。業務遂行で「チームのために」というのもあります。ただ、そのゴールの認識は、人によって異なり、仕事上においては、そのゴールイメージができていないと、「時間を作り出す」必要性をあまり感じなくなります。

具体的には、自己啓発であれ、業務遂行であれ、いかに現状を把握しているか、そしてゴール(あるべき姿)をイメージできているかが重要になります。たとえば、人材育成なら、「誰を、いつまでに、どのレベルに引き上げたいか、という具体的なイメージができていなければ、「時間を作り出す」作業は、あいまいになってしまいます。人材育成の必要性は分かっていても、いつも業務遂行が優先され、育成に関われないのは、そのためではないでしょうか。

いままでタイムマネジメントの研修を行ってきましたが、そのあと実際の業務に活かすために大切なことは、一つは、優先順位の第二領域(緊急でないが重要)のために時間をつくることで第一領域(緊急で且つ重要)の項目を減らせること、二つは、第四領域(緊急でなく、重要でない)事項は、「やること」でなく「やめること」「手放すこと」を決めることだと思います。

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2017年6月10日 (土)

忖度する

ここ数日のテレビでのニュースを見ていると、「忖度(そんたく)する」という言葉が、よく使われています。意味合いとしては、辞書にある通り、「他人の心を推しはかること」で、「相手の真意を忖度する」といった使い方があります。太宰治の代表作「晩年」の一節にもこの言葉がでてきますが、もともと、ニュアンス的には、「善意」の行為であるのに、政治の世界で主に使われる言葉のイメージは、「悪い」忖度がすっかり定着してしまいました。

忖度の同義語としてよく挙げられるのが「斟酌(しんしゃく)」です。斟酌の意味としては、「相手の事情や心情をくみとる事、またくみ取って手加減する事」で、違いとしては忖度は「相手の気持ちを(自分なりに)考察すること」であり、斟酌は「(事実としてあることに対し)相手の事情をくみとる」ということで、政治の世界では、この「斟酌」の方が合っているのかも知れません。

他人の心を推しはかる文化は、日本特有のものかも知れませんが、「忖度」という言葉は、中国の古代の昔からあったようで、「人の考えを推し量り、自分が不利益を被らないようにする保身的行為」といった意味だそうです。日本では特に、自分より上位の者の心情・立場などを考慮して、その者に良いようにふるまうことが慣例・文化としてとらえられる場合もあります。

こう言われてみると、国会の答弁で、どんなに厳しい質問の矢面に立っても、まともな回答をしないで、「言わされている」というのが見え見えであっても、紋切り口調の当事者。学校のいじめ問題で、文科省の思惑を「忖度して」、親御さんからの面会を拒否し続けてきたのに、上からの反故にするお達しがあった途端に、のこのこと親御さんに謝罪に出向く、無表情の教育委員会の責任者。子供たちには、どう映ったのでしょうか?

研修では、「相手の気持ちを(自分なりに)察すること」が必要とされるときの表現は、通常は「相手理解」であり、時として「共感」であったりします。忖度とか斟酌は聞いたことがありません。いまの政治では、重要な決定が、合意的にではなく、政治的な忖度や斟酌によって決定されたり、重要な人選が、実力によってではなく、人脈的な忖度や斟酌によって選定される、そういったことが、大企業や大学などの法人にも蔓延しないことを願うばかりです。

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2017年5月27日 (土)

権力の無責任化

教育の現場では、政治と宗教の話をするのはタブーとされていますが、最近、マスコミの報道をにぎわせている「議論がかみ合わない」政治的な問題には、正直なところ、「これでいいのだろうか」と考えさせられることが多くなりました。重要法案で質問に答えられない大臣、公開を要求された資料の存在を否定する省庁、それでも何事も起こらないのです。

「権力の無責任化」というのは、最近、テレビにゲスト出演された東大大学院の井上教授の言葉で、言い得て妙です。曰く「説明がちゃんとできなければ首が飛ぶ」という意味での“答責性”を現政権は全く無視している。復興担当大臣だけでなく、防衛大臣、法務大臣など、現政権のもとで権力を責任ある形で統制することが公然と無視され、傲慢化している」と。

今日の会社組織にあって、このような「権力の無責任化」が行われていれば、強権的に社内は抑えることはできても、お客様離れが進み、企業としての存在意義が失われることになりますが、こと政界においては、一強多弱の背景があるかぎり、可能なのかもしれません。ちょうど企業の株主総会を連想していただくと分ると思いますが、「多勢に無勢の状況では致し方なし」ということがあり得るのです。

政府が一連の学校開設問題で、いろいろな事実が明るみに出ても、国会答弁で、その資料に「信憑性がない」、「確認できなかった」。あげくに「確認の必要性がない」と平気で答える。まともに答えてはいないのに、それで逃げたつもりなのです。これらの表現は、資料の中身を検討することを拒む「回答」で、むかしロッキード事件で、証人が「記憶にございません」を連発したのに似ています。

ただ、このようなことがまかり通る世の中になっている現実を受け入れる必要があるのかもしれません。民主国家としてランキング度が高かった米国も、ツイッターで一方的に意見を述べたり、記者会見を拒否したりする大統領を選びました。私たちは、ありえないことが起こっている現実を直視し、人任せでなく、このままにしてよいのか、対応を迫られているのです。

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2017年5月13日 (土)

イラスト入りテキスト

最近の学校の教科書を見せてもらうと、イラストや写真が多用されていて驚きました。ほとんど絵本に近い小学生用から、詳細イラストや写真を多用した高校生用まで、非常に具体的で、分かりやすくされています。もっとも、複数の出版社が競って編集していることもありますが、ビジュアルの時代を反映したものになっているのだと思います。

翻って、私たちが研修で使用するテキストは、昔ながらの文字量が多い内容となっています。もちろん、講師がその内容をパワーポイントのスライドを駆使して説明されますが、それでコトが足りているわけではありません。スライドといってもほとんどが文字だけで、ときどきイラストが入っていたりしますが、その画面を説明するものではありません。

本来、テキストと投影用スライドは別のものであるはずで、スライドはあくまでテキストの補完機能として、理解を深めるために用意されるべきです。それが最近では、スライドをテキスト代わりに使う講師の方もおられます。それはそれで結構なのですが、テキストを別途作るのを割愛されたようで、そうかといって、内容を具体的にイメージできるようなデザインにはなっているわけではなく、スライドの一部に図表が入っている程度なのです。

この前、あるベンダーさんからいただいた「セミナーガイド」は、表紙から中身まで、共通したイラストが入っていました。これは、単にプログラムの紹介なのですが、定番のプログラムはページは左開きと、最近のトレンドカリキュラムなどのお役立ち情報はページを右開きで読むようになっていました。その会社の営業マンの説明では、例年、同じような内容なので、興味をもって見ていただけるよう、アートディレクションに力を入れたとのこと。

考えてみると、大手研修機関や民間の研修会社では、「セミナーガイド」は発行するものの、プログラムが多すぎて、表にして並べるのが精いっぱいです。企業からの研修プログラム内容の要望は多様化し、いきおいテキスト作りは講師任せになることが、その理由の一つかもしれませんが、セミナーガイド一つをとってみても、イラスト入りなど、業界として、費用的に、そんなに余裕があるわけじゃない、と言われそうです。

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2017年4月29日 (土)

お一人様

管理職向けのコミュニケーション研修で、「自ら部下に声掛けをする」というグループワークのときでした。直属ではないが、「おはよう、と挨拶しても、まったく返事をしない若手がいる」という発表が散見されました。いままで、こういったケースはなかったので、人事の人に、聞いてみたところ、「前から、そういう若手はいるにはいるのだが、分からなかったのは、声掛けをしなかったからで、上司の声掛けで、顕在化しただけ。」とのことでした。

言われてみると、「人と話をするのが苦手」という人は、私たちの周りにも結構います。年齢によって、違いはありますが、若手に多い傾向があります。幼少のころから、一人にされることが多く、友達がいない場合は、ほとんど家でテレビをみたり、ゲームに明け暮れる毎日で、親は外で働き詰めで、家の中でも会話という会話がほとんどない、といったケースです。

会社の仕事が終われば、まっすぐ帰宅するだけで、一人でいることが当たり前になっているのでしょうか?人と会って話さなくても、LINEやメールでコトがすみますし、毎日のお惣菜は、「お一人様」用にスーパーやデパ地下で用意してくれています。会社での仕事は、そつなくこなせば、あとは、誰にも邪魔されない、自分ひとりの時間が来るのを楽しみにされているのでしょうか?

先週、民放の「ラジオなんですが」という番組で、「あなたは1日、何分くらい人と話をしていますか?」という問いかけに、メールやFAXで答えてきたリスナーの殆どが、家庭があっても1日数分で、年配のかただけでなく若い人もおられたのには驚きました。でも、パーソナリティーが電話でフォローすると、いっぱい話すのです。「誰かと話したかった」というのです。

冒頭の、挨拶を返さない若者については、上司や同僚が、その後も声掛けを続けたり、然るべき人が間に入って「なぜ、挨拶を返さないか」その理由を聞いてあげたりして、徐々に「普通の」会社人にしてきているとのこと。それでもお互いに声掛けができている現場だからこそ、できるのです。周りで挨拶を交わさない職場で目立たない「お一人様」は、ずっと、取り残された状態で、日々悶々としているのでしょうか?

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2017年4月15日 (土)

グローカル人材

「グローカル」とは、ご存知のように、「グローバル」と「ローカル」を掛け合わせた造語で、「グローバルな視野で考え、ローカル視点で行動する」という考え方です。日本企業の海外戦略の殆どは、この「グローバル化とローカル化を同時並行的に進めて、現地化しなければならない」というもので、欧米のグローバル企業の「純粋な」グローバル化の考え方とは、微妙に異なっています。

従って、「グローカル企業」というのは文字通り「グローバル×ローカル」を実践している企業であり、地域に根ざした世界企業ということができます。具体的には、(1)大企業で、本社はグローバル戦略を持ちながら、現地ではその地域に合わせて現地法人をもつタイプと、(2)大都市でなく地方に本社をもつ企業で、世界的な事業を展開しながらの、地方密着性が高いことが特徴な、中小企業があります。

国内に目をむけると、最近では、工場や研究所だけでなく、コールセンターが地方にあったり、管理部門が首都圏から外にあったりします。もちろん、これらの立地条件には、その地域の積極的な誘致活動があったり、労働力が比較的安定して確保できるといったコスト面もありますが、なんとってICTにみられるネットの普及が大きいとことです。それに「グローカル」な考え方で、その地域に根ざしたベストローカルで臨んでいると言われています。

このまえ、仕事で、ある地方に出張したとき、道ですれ違う女子高生が、「こんにちは」と笑顔で、何組も挨拶してくれました。私たちの都会では、見ず知らずの人に挨拶しないというのに、この地に来たよそ者に興味を持って迎いいれてくれていると思いました。海外に出張にいかれても、街中ですれ違う人は、必ず「は~い(Hi!)」とか「ハロー」とか、見知らぬ人から、話しかけられた経験がおありだと思います。

欧米の「多国籍の文化も考えも違うチームを率いて、複雑な問題を解決できる人材」が本来の「グローバル人材」というなら、日本企業の定義するグローバル人材というのは、実は「グローカル」であり、「日本のことをよく分かったうえで、現地の人とうまくやりあいつつも、本社の意向との調整ができる人材」ですが、その前に、上記の地方の女子学生のように、現地の人に、興味を持って、接することができる人であってほしいです。

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