2017年6月25日 (日)

タイムマネジメント

タイムマネジメントといえば「時間管理」と訳されていることが多いと思いますが、実際、時間というものは管理できるものではありません。マネジメントというと、「チームマネジメント」「プロジェクトマネジメント」「リスクマネジメント」もそうですが、どれ一つとっても「マネジメント=管理」では間違った捉え方になります。

もともとManagement(マネジメント)という名詞が、Manage(マネージ)という「取り扱う、上手な処理を行う、何とかする」動詞からきているとすれば、「管理」というより、むしろ「有効に活用する」ということでしょうか。それであるなら、「ボスマネジメント」「コストマネジメント」「ストレスマネジメント」という表現も、何となくわかるような気がします。

さて、タイムマネジメントに話を戻しますと、その目的は「時間を管理する」のではなく、「時間を作り出す」ことにあります。それも、自己啓発のように、その狙いは「自分のために」というのと、人材育成のように「人のために」いう二通りの場面があります。業務遂行で「チームのために」というのもあります。ただ、そのゴールの認識は、人によって異なり、仕事上においては、そのゴールイメージができていないと、「時間を作り出す」必要性をあまり感じなくなります。

具体的には、自己啓発であれ、業務遂行であれ、いかに現状を把握しているか、そしてゴール(あるべき姿)をイメージできているかが重要になります。たとえば、人材育成なら、「誰を、いつまでに、どのレベルに引き上げたいか、という具体的なイメージができていなければ、「時間を作り出す」作業は、あいまいになってしまいます。人材育成の必要性は分かっていても、いつも業務遂行が優先され、育成に関われないのは、そのためではないでしょうか。

いままでタイムマネジメントの研修を行ってきましたが、そのあと実際の業務に活かすために大切なことは、一つは、優先順位の第二領域(緊急でないが重要)のために時間をつくることで第一領域(緊急で且つ重要)の項目を減らせること、二つは、第四領域(緊急でなく、重要でない)事項は、「やること」でなく「やめること」「手放すこと」を決めることだと思います。

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2017年6月10日 (土)

忖度する

ここ数日のテレビでのニュースを見ていると、「忖度(そんたく)する」という言葉が、よく使われています。意味合いとしては、辞書にある通り、「他人の心を推しはかること」で、「相手の真意を忖度する」といった使い方があります。太宰治の代表作「晩年」の一節にもこの言葉がでてきますが、もともと、ニュアンス的には、「善意」の行為であるのに、政治の世界で主に使われる言葉のイメージは、「悪い」忖度がすっかり定着してしまいました。

忖度の同義語としてよく挙げられるのが「斟酌(しんしゃく)」です。斟酌の意味としては、「相手の事情や心情をくみとる事、またくみ取って手加減する事」で、違いとしては忖度は「相手の気持ちを(自分なりに)考察すること」であり、斟酌は「(事実としてあることに対し)相手の事情をくみとる」ということで、政治の世界では、この「斟酌」の方が合っているのかも知れません。

他人の心を推しはかる文化は、日本特有のものかも知れませんが、「忖度」という言葉は、中国の古代の昔からあったようで、「人の考えを推し量り、自分が不利益を被らないようにする保身的行為」といった意味だそうです。日本では特に、自分より上位の者の心情・立場などを考慮して、その者に良いようにふるまうことが慣例・文化としてとらえられる場合もあります。

こう言われてみると、国会の答弁で、どんなに厳しい質問の矢面に立っても、まともな回答をしないで、「言わされている」というのが見え見えであっても、紋切り口調の当事者。学校のいじめ問題で、文科省の思惑を「忖度して」、親御さんからの面会を拒否し続けてきたのに、上からの反故にするお達しがあった途端に、のこのこと親御さんに謝罪に出向く、無表情の教育委員会の責任者。子供たちには、どう映ったのでしょうか?

研修では、「相手の気持ちを(自分なりに)察すること」が必要とされるときの表現は、通常は「相手理解」であり、時として「共感」であったりします。忖度とか斟酌は聞いたことがありません。いまの政治では、重要な決定が、合意的にではなく、政治的な忖度や斟酌によって決定されたり、重要な人選が、実力によってではなく、人脈的な忖度や斟酌によって選定される、そういったことが、大企業や大学などの法人にも蔓延しないことを願うばかりです。

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2017年5月27日 (土)

権力の無責任化

教育の現場では、政治と宗教の話をするのはタブーとされていますが、最近、マスコミの報道をにぎわせている「議論がかみ合わない」政治的な問題には、正直なところ、「これでいいのだろうか」と考えさせられることが多くなりました。重要法案で質問に答えられない大臣、公開を要求された資料の存在を否定する省庁、それでも何事も起こらないのです。

「権力の無責任化」というのは、最近、テレビにゲスト出演された東大大学院の井上教授の言葉で、言い得て妙です。曰く「説明がちゃんとできなければ首が飛ぶ」という意味での“答責性”を現政権は全く無視している。復興担当大臣だけでなく、防衛大臣、法務大臣など、現政権のもとで権力を責任ある形で統制することが公然と無視され、傲慢化している」と。

今日の会社組織にあって、このような「権力の無責任化」が行われていれば、強権的に社内は抑えることはできても、お客様離れが進み、企業としての存在意義が失われることになりますが、こと政界においては、一強多弱の背景があるかぎり、可能なのかもしれません。ちょうど企業の株主総会を連想していただくと分ると思いますが、「多勢に無勢の状況では致し方なし」ということがあり得るのです。

政府が一連の学校開設問題で、いろいろな事実が明るみに出ても、国会答弁で、その資料に「信憑性がない」、「確認できなかった」。あげくに「確認の必要性がない」と平気で答える。まともに答えてはいないのに、それで逃げたつもりなのです。これらの表現は、資料の中身を検討することを拒む「回答」で、むかしロッキード事件で、証人が「記憶にございません」を連発したのに似ています。

ただ、このようなことがまかり通る世の中になっている現実を受け入れる必要があるのかもしれません。民主国家としてランキング度が高かった米国も、ツイッターで一方的に意見を述べたり、記者会見を拒否したりする大統領を選びました。私たちは、ありえないことが起こっている現実を直視し、人任せでなく、このままにしてよいのか、対応を迫られているのです。

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2017年5月13日 (土)

イラスト入りテキスト

最近の学校の教科書を見せてもらうと、イラストや写真が多用されていて驚きました。ほとんど絵本に近い小学生用から、詳細イラストや写真を多用した高校生用まで、非常に具体的で、分かりやすくされています。もっとも、複数の出版社が競って編集していることもありますが、ビジュアルの時代を反映したものになっているのだと思います。

翻って、私たちが研修で使用するテキストは、昔ながらの文字量が多い内容となっています。もちろん、講師がその内容をパワーポイントのスライドを駆使して説明されますが、それでコトが足りているわけではありません。スライドといってもほとんどが文字だけで、ときどきイラストが入っていたりしますが、その画面を説明するものではありません。

本来、テキストと投影用スライドは別のものであるはずで、スライドはあくまでテキストの補完機能として、理解を深めるために用意されるべきです。それが最近では、スライドをテキスト代わりに使う講師の方もおられます。それはそれで結構なのですが、テキストを別途作るのを割愛されたようで、そうかといって、内容を具体的にイメージできるようなデザインにはなっているわけではなく、スライドの一部に図表が入っている程度なのです。

この前、あるベンダーさんからいただいた「セミナーガイド」は、表紙から中身まで、共通したイラストが入っていました。これは、単にプログラムの紹介なのですが、定番のプログラムはページは左開きと、最近のトレンドカリキュラムなどのお役立ち情報はページを右開きで読むようになっていました。その会社の営業マンの説明では、例年、同じような内容なので、興味をもって見ていただけるよう、アートディレクションに力を入れたとのこと。

考えてみると、大手研修機関や民間の研修会社では、「セミナーガイド」は発行するものの、プログラムが多すぎて、表にして並べるのが精いっぱいです。企業からの研修プログラム内容の要望は多様化し、いきおいテキスト作りは講師任せになることが、その理由の一つかもしれませんが、セミナーガイド一つをとってみても、イラスト入りなど、業界として、費用的に、そんなに余裕があるわけじゃない、と言われそうです。

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2017年4月29日 (土)

お一人様

管理職向けのコミュニケーション研修で、「自ら部下に声掛けをする」というグループワークのときでした。直属ではないが、「おはよう、と挨拶しても、まったく返事をしない若手がいる」という発表が散見されました。いままで、こういったケースはなかったので、人事の人に、聞いてみたところ、「前から、そういう若手はいるにはいるのだが、分からなかったのは、声掛けをしなかったからで、上司の声掛けで、顕在化しただけ。」とのことでした。

言われてみると、「人と話をするのが苦手」という人は、私たちの周りにも結構います。年齢によって、違いはありますが、若手に多い傾向があります。幼少のころから、一人にされることが多く、友達がいない場合は、ほとんど家でテレビをみたり、ゲームに明け暮れる毎日で、親は外で働き詰めで、家の中でも会話という会話がほとんどない、といったケースです。

会社の仕事が終われば、まっすぐ帰宅するだけで、一人でいることが当たり前になっているのでしょうか?人と会って話さなくても、LINEやメールでコトがすみますし、毎日のお惣菜は、「お一人様」用にスーパーやデパ地下で用意してくれています。会社での仕事は、そつなくこなせば、あとは、誰にも邪魔されない、自分ひとりの時間が来るのを楽しみにされているのでしょうか?

先週、民放の「ラジオなんですが」という番組で、「あなたは1日、何分くらい人と話をしていますか?」という問いかけに、メールやFAXで答えてきたリスナーの殆どが、家庭があっても1日数分で、年配のかただけでなく若い人もおられたのには驚きました。でも、パーソナリティーが電話でフォローすると、いっぱい話すのです。「誰かと話したかった」というのです。

冒頭の、挨拶を返さない若者については、上司や同僚が、その後も声掛けを続けたり、然るべき人が間に入って「なぜ、挨拶を返さないか」その理由を聞いてあげたりして、徐々に「普通の」会社人にしてきているとのこと。それでもお互いに声掛けができている現場だからこそ、できるのです。周りで挨拶を交わさない職場で目立たない「お一人様」は、ずっと、取り残された状態で、日々悶々としているのでしょうか?

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2017年4月15日 (土)

グローカル人材

「グローカル」とは、ご存知のように、「グローバル」と「ローカル」を掛け合わせた造語で、「グローバルな視野で考え、ローカル視点で行動する」という考え方です。日本企業の海外戦略の殆どは、この「グローバル化とローカル化を同時並行的に進めて、現地化しなければならない」というもので、欧米のグローバル企業の「純粋な」グローバル化の考え方とは、微妙に異なっています。

従って、「グローカル企業」というのは文字通り「グローバル×ローカル」を実践している企業であり、地域に根ざした世界企業ということができます。具体的には、(1)大企業で、本社はグローバル戦略を持ちながら、現地ではその地域に合わせて現地法人をもつタイプと、(2)大都市でなく地方に本社をもつ企業で、世界的な事業を展開しながらの、地方密着性が高いことが特徴な、中小企業があります。

国内に目をむけると、最近では、工場や研究所だけでなく、コールセンターが地方にあったり、管理部門が首都圏から外にあったりします。もちろん、これらの立地条件には、その地域の積極的な誘致活動があったり、労働力が比較的安定して確保できるといったコスト面もありますが、なんとってICTにみられるネットの普及が大きいとことです。それに「グローカル」な考え方で、その地域に根ざしたベストローカルで臨んでいると言われています。

このまえ、仕事で、ある地方に出張したとき、道ですれ違う女子高生が、「こんにちは」と笑顔で、何組も挨拶してくれました。私たちの都会では、見ず知らずの人に挨拶しないというのに、この地に来たよそ者に興味を持って迎いいれてくれていると思いました。海外に出張にいかれても、街中ですれ違う人は、必ず「は~い(Hi!)」とか「ハロー」とか、見知らぬ人から、話しかけられた経験がおありだと思います。

欧米の「多国籍の文化も考えも違うチームを率いて、複雑な問題を解決できる人材」が本来の「グローバル人材」というなら、日本企業の定義するグローバル人材というのは、実は「グローカル」であり、「日本のことをよく分かったうえで、現地の人とうまくやりあいつつも、本社の意向との調整ができる人材」ですが、その前に、上記の地方の女子学生のように、現地の人に、興味を持って、接することができる人であってほしいです。

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2017年4月 1日 (土)

ネットの時代

弊社では、企業の不祥事はもとより、社員の不祥事を起こさないよう、つねづね、リスクマネジメントとして現業のマネージャークラスの人たちに協力をお願いしています。もちろんCSR部門でコンプライアンスの部署はあるのですが、スタッフ部門だけに任せておける問題でなく、現業部門こそ、日常のリスクの対応に腐心していただく必要があるからです。

私たちの研修担当部署としても、企業の評判リスクの発生防止での意味合いから、集合研修や講演会を催しています。内容的には、SNS拡散のような「デジタル的な」問題よりも、例えば社員がお客様と仲良くなりすぎた結果、引き起こす問題とか、お客様の苦情に対する処理ミスなど、「アナログ的な」事例を扱っていただける講師の先生を探していますが、なかなか見当たりません。

考えてみると、Webソリューションといわれるとおり、企業の起こした不祥事も、社員が社内外で起こした不祥事も、結果としてネット上で情報が交錯することになり、その被害に対して啓蒙や対応策が重視されるようになっているからだと思います。現にネット炎上などの悪評被害を鎮静化するコンサルティング会社が増えています。

昭和と平成を跨いできた私たちは、R25の調査でみられる「ネットのない時代の方がよかったことTOP10」のランキングのように、①今ほど“個人情報”の扱いがうるさくなかった、②悪意ある情報やデマが際限なく広がり、残り続けることはなかった、③いまよりも(他人との)会話が多かった、④メールだけで済ます一方的なやりとりはなかった、などと昔を懐かしんでみても仕方ありません。

いまや「ネットの時代」、伝達の仕方が「印刷物」→「放送(ラジオ、テレビ)」→「ネット(SNSなど)」に移っていきました。パソコンがなくてもスマホでコトが済む時代に生まれてきた「ネット時代」の申し子たちが、これから多くを占めるようになります。彼らにリスクを教え込むというより、彼らの中からリスクのマネジメントができるリーダーを育てることが急務となっています。

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2017年3月18日 (土)

国境なき図書館

国連(難民高等弁務官事務所)の最近の資料では、紛争や暴力から逃れて難民となった人の数が世界全体で6000万人に迫り、過去最悪となったとあります。その半数を子供が占めているは悲しい現実です。自国優先の風潮がまかりとおる政府があっても、非政府組織(NGO)の活動は不変です。最近、「国境なき図書館」という記事に目が留まりました。

「国境なき医師団」というのは、広く知られたNGOですが、「国境なき図書館」という名称は、初めて耳にされる方が多いかと思いますが、列記とした世界的な組織で、2010年に起こったハイチ地震を契機に、スタッフやボランティアなどの支援チームを現場に派遣し、本や教材の配布など緊急救援時において図書館の活動を展開しました。

「国境なき医師団」もそうですが、この「国境なき図書館」もフランス人の発想で設立され、パリに本部が置かれています。災害や難民支援とは直接関係がありませんが、「国境なき記者団」というのがあり、いわゆる言論と自由を守るNGO組織ですが、これも本部はパリにあります。ちなみに報道の自由度では日本は72位で、国際NGOから「問題あり」と指摘されたばかりです。

「国境なき図書館」は2011年に起きた、東日本大震災で被害を受けた東北でも、移動図書館を稼働させています。読書によって、心に傷を負った人たちを癒すことができることから、「移動図書館」は、食料やシェルターと同じくらいの意味を持つと言われています。図書の貸出を行うだけでなく、地域住民に毎週の寄り合いや議論の場を提供する、いわばコミュニティ形成の役割も担っているとのことです。

日本では、この活動をされているネットワークはあるものの、本格的な下部組織を持ち合わせていません。企業や財団が寄付をする外国とは異なり、日本では「寄付の文化」が育たず、個人からの善意の寄付に頼っています。それも、周りの人を見ながらの日本人的な行為に負っています。お金持ちの人がもっと出せばいいのに、とか、これではとてもだめですね。


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2017年3月 4日 (土)

プレミアアムフライデー

『月末金曜は、少し早めに仕事を終えて、ちょっと豊かな週末を楽しみませんか?仕事を早めに切り上げて、普段できないことに挑戦したり、なかなか会えない友達や家族と話をしたり、明るい街を散歩してみたり、仲間とスポーツを楽しむのも気持ちいい。夕方からゆっくり食事を楽しむのも、ちょっと遠くの街へ、2.5日旅へ出かけるのも素敵。・・・』

これは、先月末から始まった、月末の金曜日に早期退社を促す「プレミアムフライデー」を推進する政府事務局の「謳い文句」で、旅行業界や外食業界などで個人消費が増えて、経済が活性化するとされています。たまたま先月末の金曜日(24日)は、月末というより、給料日のところもあってスタートとしては、ねらいどころだったかもしれません。

弊社もそうなのですが、実施するにしても、営業部署を抱えている手前、3月の月末の金曜日は、31日に当たり、もろに月末で、そうは簡単に踏み切れないところがあるようです。大手企業は120社ほどで実施されたと聞きますが、都内では、デパート(特にデパ地下)とか、外食産業のチェーン店や、半額セールを打ち出した紳士服の量販店などが好調だったとか。

大手企業は、残業問題さえクリアーできれば、このプレミアムフライデーへの推進参加は可能かもしれませんが、人的に余裕がない中小企業では、縁遠い話しかもしれません。最近の中小企業に関する調査で、厚労省の「転職入職者が前職をやめた理由」や労働政策研究・研修機構の「若年者の初期キャリアと企業による雇用管理の現状」を見ても「労働時間、休日等の労働条件がよくなかった」というが問題としてトップなのです。

むかし流行った言葉で「ハナキン(花の金曜日)」というのがありましたが、大手でも中小でも、そこで働いている人たちは、今もその気持ちを持ち合わせていると思います。ただ、時間を作ることと、お金を使うこととは別で、「財布の紐が固い」とうのは、時間が取れないことでなくて、将来に対する不安が解消されず、「プレミアム」の消費に回せないのかもしれません。

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2017年2月18日 (土)

それを言っちゃ~終しめ~よ~

今は亡き渥美清さんの「寅さん」映画によく出てくるセリフに「それを言っちゃ~終しめ~よ~」というのがあります。最近の世の中での出来事、たとえば米大統領選や英国のEU離脱の国民投票、欧州各国に見られる保護主義というか本音ばかりを主張する傾向の出現に、思わずこの寅さんの決めセリフ「それを言っちゃ~終しめ~よ~」と言いたくなります。

この寅さんの「それを云々~」の「それ」は何かというと、「本当のこと、本音」を意味します。映画では、オイちゃん、オバちゃんたちが「寅さんは落ちこぼれ人間」と思っていても、それは承知のうえで、暖かく迎え入れています。本音と建て前を使い分けているのです。そこへ、本音しか言えないタコ社長が余計なことを言い、オイちゃんたちを巻き込んで喧嘩になった挙句「それを言っちゃ~終しめ~よ~」という捨てゼリフを残して、どこかに旅立っていくのです。

人間だれしも本音で語りたいのですが、相手があれば、一方的に自己主張は控えるのが流儀です。ビジネスにおいても「本音で語り合う」のはベストかもしれませんが、こと職場においては「建前」が無用な軋轢を避け、相手の本音を酌みつつ、言わぬが花で、結果として仕事が円滑に進んでいるのも事実、どこかに余裕をもった大人のコミュニケーション手段です。

それが最近では、「本音で語り、自己主張する」風潮が強くなってきたのではないでしょうか?相手を傷つけないという配慮もなく、いままで「建前を優先」していた余裕すらなくなってきたのでしょうか?自分たちの利益だけを相手から引き出そうと本音で迫っても、お互いにとって将来の利益になるのが「建前」で、本来のゴールなのです。言い換えれば、建前はあくまで、本音で話せる関係を築き上げるまでの前提手段なのです。

政治的な「劇場型選挙」では、誰かを仮想敵に仕立て上げる手法がまかり通っています。民衆は、このアジテーションに飲み込まれ、日ごろのうっぷんを「仮想敵」にぶっつけ、まさかの選挙結果を招くことになります。社会は、お互いの気遣いで成り立っているというのに、これからは余裕を失った、コミュニケーションの幅の少ない、いきなり本音トークしかしない、他責の人が多くなるのでしょうか?

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