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2017年5月27日 (土)

権力の無責任化

教育の現場では、政治と宗教の話をするのはタブーとされていますが、最近、マスコミの報道をにぎわせている「議論がかみ合わない」政治的な問題には、正直なところ、「これでいいのだろうか」と考えさせられることが多くなりました。重要法案で質問に答えられない大臣、公開を要求された資料の存在を否定する省庁、それでも何事も起こらないのです。

「権力の無責任化」というのは、最近、テレビにゲスト出演された東大大学院の井上教授の言葉で、言い得て妙です。曰く「説明がちゃんとできなければ首が飛ぶ」という意味での“答責性”を現政権は全く無視している。復興担当大臣だけでなく、防衛大臣、法務大臣など、現政権のもとで権力を責任ある形で統制することが公然と無視され、傲慢化している」と。

今日の会社組織にあって、このような「権力の無責任化」が行われていれば、強権的に社内は抑えることはできても、お客様離れが進み、企業としての存在意義が失われることになりますが、こと政界においては、一強多弱の背景があるかぎり、可能なのかもしれません。ちょうど企業の株主総会を連想していただくと分ると思いますが、「多勢に無勢の状況では致し方なし」ということがあり得るのです。

政府が一連の学校開設問題で、いろいろな事実が明るみに出ても、国会答弁で、その資料に「信憑性がない」、「確認できなかった」。あげくに「確認の必要性がない」と平気で答える。まともに答えてはいないのに、それで逃げたつもりなのです。これらの表現は、資料の中身を検討することを拒む「回答」で、むかしロッキード事件で、証人が「記憶にございません」を連発したのに似ています。

ただ、このようなことがまかり通る世の中になっている現実を受け入れる必要があるのかもしれません。民主国家としてランキング度が高かった米国も、ツイッターで一方的に意見を述べたり、記者会見を拒否したりする大統領を選びました。私たちは、ありえないことが起こっている現実を直視し、人任せでなく、このままにしてよいのか、対応を迫られているのです。

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