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2015年9月26日 (土)

異常気象と気象変動

このところ異常気象続きです。直近では、関東・東北豪雨があり、茨城や宮城で、堤防が氾濫し、多くの家屋が被害を蒙りました。その他、チリ中部沖で発生した地震の影響で津波が押し寄せてきたり、阿蘇山の噴火、箱根山や口永良部島の火山活動など、転変地異があちこちで起きています。

この異常気象は、日本だけでなく、米国カリフォルニア北部の洪水や英国Porthcawl の海岸の岸壁を高波が襲うなど、大雨と洪水に見舞われています。また、タイでは去年から続く少雨で旱魃の心配が予想され、インドの熱波では、2200人以上が死亡したと伝えられています。この他、世界中のあちこちで異常気象のニュースが報じられています。

世界気象機関では、「平均気温や降水量が平年より著しく偏り、その偏差が25年以上に1回しか起こらない程度の大きさの現象」を異常気象と定義しています。また、気象庁の異常気象レポートでは、「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度の頻度で発生した)現象」としています。

これに関して、異常気象の『異常さ』が薄れていくこと、あるいは長期的な気候変化により学問的な異常気象の定義が少しずつ変わっていくことで、警戒心が薄れたり、気付かないうちに気候が変化していたりするのではないか、という声もあります。異常気象というのは、通常でない状態をいうのでしょうが、このように、日常的に起こるとするなら、これはもう「異常気象」でなく、世の中は、すでに「気象変動」を起こしているのかも知れません。

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が、気候変動は人間の活動によって引き起こされている可能性が「95%」に上るとの報告書をまとめていて、それによると「現状のまま、あるいはこれ以上のペースで温室効果ガスの濃度が上がり続ければ、全世界の気候システムに過去数百~数千年で例がないほどの変化が起き、それが何世紀も先まで残ることが考えられる。」としています。

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2015年9月12日 (土)

是非に及ばず

織田信長は、普段は口数が少なかった人物だったといわれていていますが、そんな信長の名言・語録として、今でも残っているものに、「是非に及ばず」という言葉があります。同じ題名の「是非に及ばず」という単行本や「現代語訳 信長公記」(新人物文庫)などがあり、あまりにも有名な言葉として知られています。

そもそも、信長の最後の言葉として伝えられる「是非に及ばず」は、信長の家臣・太田牛一が「信長公記」に書き残したのもの。彼は本能寺の変には立ち会っていませんが、自身で「女どもこの時まで居申して、様躰見申し候と物語候」と書いたように、本能寺の変のあと、信長に帯同していた女人衆からその有様を聞いたとされています。

「是非に及ばず」の意味は、広辞苑で引くと、「①是と非。道理にかなうこととかなわないこと。よしあし。正邪。②よしあしの判断・批評。品評。」とあります。しかし、織田信長が本能寺において明智光秀の謀反と知った時に発せられた言葉としては、「良し悪しなんかを判断したりする必要はない、現状でその場での対応をするしかない」というのが正しい解釈のようです。

これは信長公記に書かれている文脈から、想定されていて、従来の「止むを得ない」「仕方がない」「どうしょうもない」という諦めの言葉とは意を異にしています。私も日ごろ、この「是非に及ばず」という言葉を「四の五の言わずに行動する」際に使っていましたので、異論はありませんが、皆さんは如何でしょうか。

一方、明智光秀の「敵は本能寺にあり」は分りやすいです。故事ことわざ辞典でも、「本来の目的を隠し、人の目をあざむくことをいう。」とあります。光秀が、備中(現在の岡山県)の毛利氏を攻めると称して出陣した途中で、急に方向を転じ、「わが敵は本能寺にあり」と言って、本能寺に止宿していた主君の信長を急襲したという故事に基づいているとのことです。

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2015年9月 5日 (土)

何となくたるんでる?

東京オリンピック・パラリンピックの「新国立競技場」に続き、「公式エンブレム」も白紙撤回されたことを受け、経済同友会の小林代表幹事が、「最近こういったことが多すぎる。何となくたるんでるんじゃないか、社会全体が」と記者会見で発言していました。批判の対象を「組織委員会」や「政府官邸」を名指していないのは、経済界の代表としての立場上、明言を避けられたように思えます。

「何となく」とか「社会全体が」といわれても、ここまで具体的な事象があって、かつ担当部署もわかっているのに、当事者は、みんな責任の所在を明らかにしません。あたかも「白紙撤回」したことが当事者としての幕引きをして、これ以上、叱責されることはないと思っているのでしょうか?私たちは、彼らの弁明が「責任逃れ」に見えるのですが、ご本人たちは、何も感じていないのかもしれません。

この問題が明るみに出た中、来年のリオデジャネイロへの参加を争うオリンピック・パラリンピックのアジア予選が行われています。私も、先日「ブラインド・サッカー」の応援に行ってきました。選手たちは、オリンピックのために、体を鍛え、厳しい練習に耐え、ここまできたのだと思います。オリンピックを目指し、必死の思いで頑張っている人たちの気持ちを見過ごせるから、白紙撤回した当事者は平気で責任逃れができるのでしょうか?

私たちの企業でも、時として不祥事が起こります。時期を同じくして、名門企業が会社ぐるみの粉飾決算をしたことが明るみになりましたが、コーポレート・ガバナンス(企業統治)、あるいはコンプライアンス(法令遵守)が効かない体質として、経営トップは責任を取ることになります。企業では、責任の所在が明らかになる仕組みになっているのですが、政治の面では、いろいろ利権が入り乱れていて、深刻な構造の問題があるようです。

それにしても、白紙撤回した当事者たちの弁明会見を聞いていると、あまりにも当事者意識がないのに驚かされます。ただ、表に出てくる彼らは、事務的なレベルの人たちで、責任を取るべき立場の人でなく、本当の責任者は表にでてきません。だから当事者意識がなく、責任問題を云々されても答えようがないように見えました。

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