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2015年3月28日 (土)

サービス・イノベーション

「イノベーション」の一般的な意味は、「技術革新」、「新しい技術の発明」と捉えていたのですが、本当は、「それまでのモノや仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れ、新しい価値を生み出して、社会的に大きな変化を起こすこと」を意味するようです。最近では、技術サービスの分野に対して「サービス・イノベーション」という言葉をよく耳にします。

先日、技術サービス部門のトップの方が、このサービス・イノベーションについて、専門のコンサルタントを招いて話を聞かれるというので、同席させてもらいました。この方の話によると、いまは、北陸先端科学技術大学院(本校、分校)で、多くの大手メーカーの技術部門の方が、「サービス・イノベーション」について、学んでおられるとのことでした。

「サービス・イノベーション」とは、お客様サービスで、真の顧客満足を得ようとするなら、「サービス業務自体を可視化して測定し、生産性・効率性を上げるためにサービス業務の再設計を行うこと、あるいは新技術利用により、サービス産業において新規事業開発を行っていくこと」をいうのだそうです。

日常業務において、例えば、修理品の回収作業など、新しい工夫を凝らして、スピードアップを図るなどは、「改善」であって、「イノベーション」とは呼ばないようです。現在のサービスにおけるイノベーションというには、単なる改善を意味するのではなく、いわば、新しい発想に基づいて、その関連サービス事業を立ち上げることなのです。

それには、まず、現状を否定してかかる必要がり、ゼロベースの発想が求められます。「ゼロベースの発想」とういのは、問題解決の手法のところで出て来ますが、意味は何となく分かっていたつもりでも、いざ実行するとなると、どうしても現状の組織や業務の中でしか考えられませんでした。今回は、仕事の役目柄で拝聴の機会を得たのですが、とても勉強になりました。

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2015年3月21日 (土)

例え話の上手な講師

いつも感心するのですが、例え話の上手な講師が時々おられます。受講生に対して、基本的な知識を提供したあと、その理解を深めるため、ワークをされるのですが、少しでも理解ができていないと察すると、具体的な例はもちろんのこと、受講生が腹落ちするよう「例え話」をされるのです。それも、私たち研修担当が「なるほど」と納得するものです。

よくコミュニケーションなどの研修で、筋みち立てて話すには、その理由とか、具体例を述べなさい、といわれますが、「例え話」は、その具体例とは異なります。例え話(譬え話、たとえばなし)は、複雑な分かりにくい内容を、比喩によって具体的なものの話に置き換えて分かりやすく説明する、短く簡潔な物語のこと」です。

新入社員のOJT指導にあたるチュータの人に、「あなたが新人の時のことを思い出してください。どんなことが嫌でしたか、どんな先輩の指導がよかったですか?」と問いかけてみたりします。また、新任の管理職を目指す人たちに、理想の管理者像を聞く場合、「嫌な上司」をイメージさせるのが手っ取り早い教示の仕方ですが、これは例え話ではありません。

「例え話」というのは、聖書やイソップ物語のように「比喩」に富んでいるものをいいます。昔から偉い人は、お釈迦様にしろ・お坊さんにしろ、相手を諭して納得させるのに、いつも例え話を用いています。例え話ができるのは、相手に伝えたいテーマが完全に「自分のもの」になっているからで、そのため、有能な人ほど例え話がうまい、といわれるのです。

直近の研修で、すばらしい「例え話」を聞きました。それは、管理者登用研修のときで、「今日の研修はかなりハードなもの」というのを「自転車の運転」に置き換えての話です。「確かに会社からあなたに自転車が与えられましたが、あなたが上手に乗れるようにするのが、きょうの研修です。午前中は、まだ補助輪をつけて練習しますが、午後は、その補助輪を外しますよ!」とは、一同、思わず「うまい!」と感心しました。

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2015年3月14日 (土)

互近助(ごきんじょ)

東日本大震災から4年を迎えて、先週は、連日、マスコミ報道は3.11の特番が組まれていました。阪神・淡路のときも多くの犠牲者を出したのですが、東日本の場合は、広範囲の強い地震、未曾有の津波、さらに原発事故による放射能汚染被害が加わり、いまなお、苦しみは消え去っていません。

その特番の中で、防災・危機アドバイザーの山村武彦さんは、平時からお互いさまの心で、向こう三軒両隣で声をかけあう習慣、「互近助(ごきんじょ)付き合い」が普段からできていれば、建物や瓦礫の下敷きになった人も、早くに助け出せたのでは、と力説していました。

「互近助」とは、「住んでいる町、隣近所でお互いに近くにいるもの隣人同士で助け合う、元気な人は助ける人になる、外出先、職場、学校などその場その場で互いに近くにいる人が近くにいる人を助ける、近くにいる人が困っているなと思ったら、見て見ぬふりをせず、気軽に声をかけること」から来た造語です。

たとえば、「回覧板はポストに入れるのではなく手渡しする」、「洗濯物が干してあって雨が降ってきたら声をかける」、「留守にするときは隣人に声をかける」、「もらい物のお裾分けをする」など、「何かあれば声をかけ合える関係と距離感」を普段から作っておくことが大切ということです。

私は、京都の出身なのですが、ふるさとを離れてから、町づくりの仕組みで一つ気がついたことがあります。それは、町内が、東京のように「ブロック単位」ではなく、ブロックの向かい合わせが「まるまる町」という仕組みになっているのです。その理由は、平安京の昔から、武家たちが都に攻め入るたびに起こす戦火に悩まされ続けた教訓から、いざというとき、町内の入口にバリケードをつくる声をかけやすいからだったそうです。

いまや、マンションが立ち並ぶ都会暮らしが多くなったこと、仕事が大都会に集中して、若い人が、都会にでて、核家族を構成するようになった現実は、この「互近助づきあい」は難しくなったかもしれませんが、「互近助」精神だけは、引き継いで、持ち続けるべきだと思います。

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2015年3月 7日 (土)

公開講座の最小催行人数

各社、各団体で催される公開講座には、講座にもよりますが、たいていの場合、開催の条件に「最小催行人数」があります。これは、その講座の運営上、申し込みが「ある程度の人数に達しないと開催できない」ので、申し込みに対して、事前に了承を取り付けているものです。開催しない場合、通常、1週間前には、知らせてきます。

人数が少ないと開催できない理由として、その研修機関で想定された損益分岐点のようなものがあり、会場費はもとより、先生に支払われる講師料、テキストなどの資料代、あとはスタッフの人件費等から割り出されたものですが、自前の会場をもっていたり、講師の先生が社員であったりした場合は、その限りではありません。

受講生を派遣している私たちとしては、人数がすくなくても、多少の採算は度外視して開催してもらいたいです。しかし、受講者にとっては、他の参加者から、いろんな情報を聞けるのに、人数が少なすぎて、つまらなかった、という意見がある一方、人数が少ない分、先生が懇切丁寧に教えてくれた、と肯定的に捉えている人もいます。

私たちが外部講師としてお世話になっている先生の何人かは、その研修機関で公開講座も担当されているので、人数の少ない場合、どのように取り扱っているのか聞いたことがあります。ほとんどの先生は、人数は多い方がやりやすい、と言いますが、少ない場合は、丁寧に教えるといっても限度があるので、通常話さない持ちネタを披露したりして、時間を稼いでいる、と言っていました。

本当は、人数が少ないなら少ないなりの教え方があるように思います。たとえば、その研修のなかで教える基礎知識の理解を、ワーク(演習)を通じて行う場合、人数が少なくて時間が余るなら、さらに一歩進めて、それを実際の業務に落として、ワークしてもらうとか、です。ただ、いつも公開講座を担当されていると、一方的に講師のペースで講義されているので、この切り替えは難しい要望なのかもしれません。

しかし、研修の目的が、「受講生の持つ能力を引き出す」ことにあるのなら、極端に人数が少ないときこそ、思い切って、話す側から聞く側に回るなど、新しい試みにチャレンジしてもらいたです。

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