« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月26日 (土)

コミュニケーションの上手下手

他者とのコミュニケーションに苦手意識やコンプレックスを持っている人は少なくないかも知れませんが、時として、コミュニケーションの上手下手を、話し上手か話ベタと勘違いしている人も多いようです。前にも書きましたが、人と上手に関わるためには、何も話し上手になる必要はないと思います。

就活のニュースに、決まって出てくる「企業が社会人に求める能力とは?」というネタで、いつもトップにランクされるのは「コミュニケーション能力」であることはご承知のとおりですが、だからと言って、話し上手になろうと、コミュニケーション関連のノウハウ本を読んだり、スキル研修をうけたり、Facebookなどで友達関係を作ればよいというものでもありません。

プレゼンが上手だからといってもコミュニケーションが上手だとは言えません。コミュニケーションに長けている人は、潜在能力として、「相手の心を理解しよう、というココロ」を持ち合わせていて、さらに「相手の求めていることを言動で表現できる技術」を持ち合わせているものです。まさに、聞き手とココロでつながっているのです。

カリスマと称される米マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルの故スティーブ・ジョブズが、コミュニケーションが上手だったとは、聞いたこともありません。インド最大財閥のダダ・グループを10兆円に引き上げた5代目会長のラタン・タタも、「私のマスコミ嫌いは有名で、人前で話すのが苦手だった」と言って憚りませんでした。

茶道に三炭という言葉があります。三炭とは、初炭・後炭・立炭のことで、「心配りに始まり、心配りに了る」心構えを示します。客の帰りぎわにも「どうぞごゆっくり」という心で炉中に炭を添えるのが立炭です。これは、招き入れた相手に対する気遣いとして、奥深いおもてなしの所作なのですが、無言のコミュニケーションと言えるのではないでしょうか?

真のコミュニケーションが、人の心が通じ合うことであるとしたら、それは、相手が「自分のことを理解してくれている」と感じてくれたときなのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月12日 (土)

挨拶と返事2

小学校の先生に聞いた話ですが、朝の「おはよう」の声掛けに返事をしない子どももいるそうです。その子に「なぜ挨拶をしないの?」と訊くと、「めんどうくさい」という言葉が返ってきたというのです。まるで大人のような口ぶりですが、この子の家庭環境を容易に想像でき、これではいけないと思い、挨拶ができる子になるよう、根気よく指導したそうです。

この子たちが成長していく社会で、「挨拶しない、返事しない」大人になったら、みんなと仕事ができなくなります。大人社会では、否応なしに、人と協力して物事を達成することが求められます。かたくなに「用もないのに、話すことはない」「忙しくてそれどころではない」では、孤立するのは目に見えています。「人とかかわることができる」ように教えるのは、子どものまわりにいる親や大人の役目ではないでしょうか?

イギリスの家庭教育では、人間としての挨拶の基本として、ものを頼む時には「プリ-ズ」、何かをしてもらったときには「サンキュウ-」、それに「エクスキュ-ズ・ミ-」の三つが、子どもの「躾(しつけ)」といわれています。日本でも、挨拶と返事は、子どものころから、うるさく言われて来ましたが、「挨拶しない、返事をしない」大人の人は、悲しいことですが、人とかかわることができるように育てられてこなかったのも知れません。

「挨拶は人間関係を作るコミュニケーションのポイント」といわれますが、人とかかわることができるようになるために、ちゃんとした挨拶さえできれば、別に「話し上手」になる必要はないと思っています。挨拶と返事は、一番簡単に取り組める方法であると考えています。ただ、大切なことは、その挨拶や返事に、相手に対して心よく受け入れられるものであるかどうか、なのです。

研修でのグループワークを見ていても、話しの輪に入って来れない人がいます。その人は「話し下手」というより、よく見ていると、グループワークの初めの自己紹介のときの挨拶で、すでに気おくれしていて、自分から「孤立したがっている」ようです。彼の所属先の同僚に聞くと、自分たちと一緒のときは、結構、話し相手になっているとのこと。彼の自信のない挨拶は、どこからくるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年7月 5日 (土)

挨拶と返事

挨拶が苦手な人がいます。単に、「おはよう」という声掛けを自分からできないのです。むろん、相手が「おはよう」といっても、返事がありません。この人たちは、声掛けができない、返事ができないというより、する必要がないと思っている節があります。「たかが挨拶」と思われるかも知れませんが、本人は、大真面目なのです。

配属されたばかりの新入社員が、元気に「おはようございます!」といっても、仕事に集中しているのでしょうか、相手から「おはよう」の一言が返って来ないのです。ちょうど、あなたがファミレスでの「いらっしゃいませ!」という声掛けに、返事をしないようなものです。これは、自分だけに、声掛けをしてもらっているとことを認めていないからなのでしょうか?

挨拶は自分から声掛けすると心がけしていても、返事が返ってこないと、気落ちするものです。よく、ネットなどで「返事がないから、次からやめようと思う」とか「挨拶しないから自分もしない」という意見に対し、そう思うのであれば、相手と同じレベルになりかねないので、「相手の返事がなくても、挨拶だけは続けましょう」とか「気持ちが伝わるまで、挨拶を続けていれば、いつの日か返事をしてくれるようになります」といった回答をよく見かけます。

挨拶の語源は、禅の「一挨一拶」にあるといわれています。これは、師と修行者、あるいは修行者同士が出会ったとき、言葉や動作で互いに相手の悟りの深浅などを試すことで、「挨」は軽く押すこと、「拶」は強く押すことで、合わせて押し合うさまをいう、と辞書にあります。相手に気を向け、また向けさせて心を測り、心を通わせる手段として今日一般的に交わす「挨拶」となったといわれています。

あなたの声掛けは、相手に対して、気持ちのこもったものになっていますか?本当に、相手に対し、自分の存在を誇示するためでなく、「〇〇さん、きょうも1日よろしくお願いします」という敬意をもって、声掛けができているでしょうか?不特定多数に向けての声掛けになっていませんか?ファミレスのマニュアル的な挨拶のように、返事を期待しない挨拶になっていないでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »