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2013年7月27日 (土)

頭が高い

一般的に、上から目線の人を「頭(ず)が高い」といいます。「頭が高い」は、辞書を引くと「(頭の下げ方が足りない意から)相手を見下げる態度で、無礼である。横柄である。(新入りにしては頭が高い)など」とあります。

よく講師の先生で、このように、「上から目線の人」とレッテルを貼られる人は、どちらかというと、受講生と同じ目線で講義ができないというか、受講生の持てる潜在能力を引き出すことに注力されず、「教えてやっているのだから、ありがたく講義を聞くのは、受講生の立場だ」と、一方的に決めつけてかかるから、「頭が高い」といわれるのです。

心理学の先生に聞いたのですが、そのような人は、思い込みが強く、個人人格が役割人格を上回っていて、たえず、自分最適を優先します。特に講師の先生に限らず、横柄な態度を取る人は、自分が「横柄な態度を取っている」とは、いささかも思っていないので、いくら注意しても治らないというのです。自分の置かれた立場の認識が希薄なのでしょうか?

新入社員研修のとき、社会人になりきっていない行為について説明される場合も、「学生のときは、個人人格(自分最適)で物事を判断できても、社会人になれば、自分が置かれた立場(会社最適)で判断することが求められます」というのがあります。いつまでも個人人格で留まっているようでは、それこそ、「新入りにしては頭が高い」といわれかねません。

思うに、「頭が高い」人は、自分最適だから、相手理解ができない、若しくは、相手理解の必要を感じていないのではないでしょうか?「言うべき人が言うべき時に言わない」とか、「決断すべき人が決断しない」といった当事者意識の希薄な人も、この範ちゅうにはいるような気がします。きっと学生のときのまま、個人性格を優先して、役割性格を疎かにしているのです。

という私も、時として、個人性格が表にでることがあり、役割に徹することの難しさを痛感しています。

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2013年7月20日 (土)

あのその口癖

「あの~」「その~」「え~」とかいう口癖の人がよく見かけます。「口癖」とは、無意識に発してしまう言葉ですが、それ自体には、意味を含まない場合が多いようです。誰かと話しているときに、やたらと出てくる非単語があれば、皆さんは気になりませんか?

頻繁にいう人を見ていると、何か次の言葉を頭の中で考えていて、口にするまでの間を持たせようと、とりあえず「つなぎの言葉」として出しているように思えます。「あの~」「その~」「え~」以外に、「やっぱり」とか「絶対」とか「要するに」とかを連発する人もいます。

ビジネスの場でも、会話であったり、プレゼンであったり何かを発表する場でも、頭に「え~」「あの~」を頻発する人も結構います。この「え~」「あの~」は、かしこまった発言をするときによく使われるようですが、あまりにも多いと、その話の内容より、その非単語が気になって言葉に説得力がなくなりますから気をつけたいものです。

ラジオでもフリーアナウンサーの生島ヒロシさんや森本毅郎さんも、「え~」を多用しています。口癖というのは、その人らしさがあって、特に悪いことではありませんし、そこまで神経質にならなくてもいいのですが、ちょっと度がすぎると、意図せず、相手に不快感を与えていまいます。ですから、自分がどのような口癖を持っているのか、ある程度、客観的に知っておくことも、人前で話すときに役に立つと思います。

この口癖の人に「マイナス面」を注意するのは、とても気を遣いますし、急に治るものでもありません。だったら、ちょっと視点を代えて、「こういう言い方をすると聞きやすいよ」というように、改善すべき口癖を指摘するばかりでなく、「プラス方向にアドバイスする」形をとる工夫をしたいものです。

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2013年7月 6日 (土)

へたうま

「へたうま」とは、絵画や音楽の世界で使われる言葉で、「本当に描けば(弾けば)みんなうまいのですが、わざとヘタに見える(聴こえる)ようにしている」状態をいいます。一見ヘタそうで、その分野で要求される技術を満たしていないようなのですが、実際は、その整った枠組みをはずしたり、歪めたり、壊したりして、新しい表現を模索しているのです。

卑近な例をあげれば、相田みつをさんの名言の書体にみられるように、ヘタそうなのですが、逆にそれが個性や味わいとなっています。かの天才ピカソも、正確なデッサン力をもって写実的に描いたものを、デフォルムを極め、破壊から創造へと繋げています。誰だって最初は、あの見えない裏側までえがかれた横顔に驚いたものです。

クラシックの世界でいえば、バイオリンの巨匠ヨーゼフ・シゲティではないでしょうか。彼の奏でたバイオリンは、音が始終ゆれたり、かすれたり、音の流れがぎこちなかったり、現代のコンクールなら予選で落選間違いなしなのに、誰もが、彼の右にでるものがいない、といいます。

「ヘタウマ文化論」を書いた、イラストレーターの山藤章二さんによれば、この言葉を最初に使ったのは、糸井重里さんだそうですが、山藤さん自身、週刊誌の似顔絵塾で、盛んにデフォルムをすすめています。いわれてみれば、漫画家だって、本当は、写実的に描けば、とんでもないほど上手い絵を描きますが、それは少しも面白くないから、マンガチックに描いているのでしょう。

ヘタウマでなく、逆に「上手過ぎて、なんだか物足りない」と感じてしまうことがあります。「技術的にすごかったけれど、なんだか心に残らない」というのは、どんな場合にもみられます。これは、ウマいのだけれど、結局はヘタにうつるので、「ウマヘタ」とでもいうのでしょうか。

研修講師の先生の中には、型にはまったものを見事にルーティン化して講義される方もいらっしゃいます。そのような先生は、誰かの講義の内容を丸のみされて、語り口まで同じにされているのでしょうか、流れるように話され、一見ウマいようですが、抑揚がなく、単調に思えます。これでは「ウマヘタ」で、受講生の心にとどくわけがありません。

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