« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月25日 (月)

短所を直す、長所を伸ばす

人は誰しも短所もあれば長所もあります。短所と長所は、表裏一体です。短所を直し長所を伸ばすというのは言うは簡単ですが、短所を直すことと、長所を伸ばすこととでは、その労力も異なるし、成果も異なるように思います。というのは、自分に対してなのか、他人に対してなのか、で違ってくるからです。

研修で多くの講師の先生は「自分の長所を発揮するように努力すれば、短所は自然に消滅する」と言われますが、果たして先生自身ご自分の長所や短所についてどのような扱いをされているのか知りたいものです。ご自分の短所には目をつむって、独善的な思い込みの長所を伸ばすことをされているのでしょうか?

マネジャーの仕事に部下育成という項目がありますが、これとて、部下の短所(欠点)を直して育てるやり方と、長所(良い点)を伸ばすようにするやり方があります。研修においては、ほとんど後者の指導法がよいとされます。確かに、人と相対するとき、相手の長所に目が向いていれば短所はそれほど気にならないものです。ただ、現在の学校教育やしつけの方向性は、短所を指摘して正すことが基本方針のようです。

「定められた枠内にはまりなさい。そうしなければ、あなただけがはみ出ていて、恥かしいですよ。」と、いってみれば、これがいまの日本の教育です。確かに、指導者の観点から見れば、この方針のほうが楽でしょう。誰でも同じ方にはめればいいのですから。逆に、長所を見つけて伸ばすことは難しい。なぜなら一人一人の個性を見極めて、的確に個別の指導をしなければいけないのですから。

こと研修、特にスキル研修においても、短所を指摘して直そうとされるタイプの先生が多いのです。いつぞや私はブログで、「教育は人の潜在能力を引き出すこと」とお話したことがありますが、先生たちはそれがゴールであることが分かっていながら、実際は、一人一人の能力を引き出す余裕がなく、一方的に、短所を指摘して直すという、どちらかというと、安易な指導法に終始されます。

しかし、もし長所をみつけて、伸ばしてもらえたなら、受講生や、部下にとっては、大きな気づきになり、ターニングポイントになるはずです。ですから、逆に自分に対しては「短所を直す」ことを心がけ、他人に対しては「長所を伸ばすこと」を、日ごろの自分ルールにしてみることも大切だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月18日 (月)

形を真似(まね)ず、心を真似る

1990年のバブル期をピークに、「失われた」日本の迷走が20年間続いている中で、今一度、本質を見直そうという日本社会の潜在的意識が浮かび上っているからか、昨年の坂本龍馬や岩崎弥太郎に続き、最近、渋沢栄一にも関心が高まっています。彼の訓言集の中に「真似はその形を真似ずして、その心を真似よ。」というのがあります。

これは「何かを真似たいと思うのであれば、その形だけを真似るのではなく、その心をも真似ることだ。」ということですが、講師の先生についても同じことが言えます。講師の先生の中には、ご自分のプログラムを持たず、その所属する研修機関で、偉い先生に師事し、その人の講義を丸暗記して、あたかもご自分でそのプログラムを開発したかのように、私たちに講義されるのです。

丸暗記といいましたが、テキスト・配布物はもとより、その大先生の語り口、しぐさ、表情、進め方など、すべて真似ておられるので、まるでモノマネです。受講生はともあれ、私たちが「にせもの」と見破るのは難しいというより、そんなことを考える必要がないほど、立て板に水の如く、上手に講義をされます。大先生のプログラムが良く出来ている場合は、聞いている限り、何の問題もありません。

ただ、「問題ない」といえるのは、プレゼンテーションとかネゴシエーションなどのスキル研修に限られます。プログラムがよければモノマネである程度までやりとおすことができます。ですが、ちょっと詳しい人、たとえば、プレゼンテーションやネゴシエーションが人一倍上手いといわれる人が受講生に交じっている場合など、講師の先生自身、その人の方が自分より上手いということが認識できないのです。

そんな先生に「きょうの講義はとてもよかったので、次はこれの上級編をお願いします」と依頼すると、その場で「分かりました。出来ます」といわれるのですが、実施すると、何ら進展したものはなく、中身のない研修でがっかりさせられます。渋沢栄一がいう「「真似はその形を真似ずして、その心を真似よ。」ということであり、そんな先生は、プログラムを開発した大先生の想いやその本質を究めようとする意志がないのです。

ですから、そんな先生は、プレゼンテーションやネゴシエーションなどのコミュニケーション・スキルだけでなく、リーダーシップやマネジメント・スキルまで、誰かのプログラムを丸覚えで「何でもできる」と勘違いされているのです。大手の研修機関では、そのような講師の育て方をされているとことが多いと聞きますが、私たちの研修仲間では、逆に「どんなプログラムも講師次第」と言っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月11日 (月)

アリとキリギリス

「アリtoキリギリス(アリとキリギリス)」はホリプロ所属のお笑いコンビ、略称「アリキリ」のことですが、きょうはイソップ物語の「アリとキリギリス」の話をしてみたいと思います。イソップ物語は全世界の人々によって親しく読まれています。が、その解釈は時代により、あるいは場所により、つまり背景によって随分と異なっているようです。
夏の間、せっせと働いて冬に備えるアリ。かたや毎夜バイオリンを弾いて歌に興じるキリギリス。やがて季節はめぐり、冬。食べ物がなくなってしまったキリギリスはアリを訪ねる・・・。さて、アリはキリギリスにどう接したか?日本では「優しいアリはキリギリスを招き入れ、食べ物を分けてあげた」という結末になっていますが、国により、いろいろな結末のバージョンがあるのをご存知だったでしょうか?
そもそものオリジナル版は「アリとキリギリス」ではなく「アリとセミ」だったようです。イソップが生まれた紀元前のギリシャではセミは地中海沿岸にも生息していて文学でも取り扱われていますが、ヨーロッパ北部ではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で「キリギリス」に改編されたようです。日本に伝わった寓話はこのアルプス以北からのものです。
世界のスタンダードバージョン(146ヵ国)では、アリはキリギリスに食べ物を分け与えることはなく、「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られ、キリギリスは餓死します。それどころかアリは餓死したキリギリスを食べてしまいます。こちらの方が、リアリティがあって、当代の子どもたちに受け入れやすいのかも知れませんが、その他に、このイソップ物語の現代的解釈については、「アリは働き過ぎで過労死した。」「キリギリスはアリに音楽会の切符を売りつけて、そのアルバイトの収入で冬を過ごした。」というのもあるそうです。
なお、それでは残酷だというので、アリが食べ物を恵み「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリですよ。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのです」とキリギリスに告げる話などに改変される場合もありますが、最も有名なものは1934年にシリー・シンフォニーシリーズの一つでウォルト・ディズニー制作の短編映画であり、アリが食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがバイオリンを演奏するという結末になっています。

前途多難なユーロ圏内の不均衡是正の論議で、好んで欧州のドイツとギリシャやスペインなどの周辺国の関係を、「アリとキリギリス」の寓話にたとえる評論家がいます。倹約家で国際競争力を高めるために必死に働くドイツ=「アリ」と、浪費家で陽気に目先の享楽に興じるギリシャやスペインなどの周辺国=「キリギリス」という構図ですが、この寓話の生い立ちからすると感慨深いものがあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 4日 (月)

仕事の優先順位

「時間活用」、「仕事の進め方」、「問題解決」などの研修で必ずでてくるものに「優先順位」があります。ご承知のように、これはいま抱えている仕事や課題をリストアップし、それに優先順位をつけて処理をしようとするものです。そのときの分け方として、「緊急事項」と「重要事項」という2つのキーワードをマトリックスにして、その分類に当てはめて行きます。

平たくいうと(1)急ぎで大切なこと、(2)急ぎだけど大切じゃないこと、(3)急ぎじゃないけど大切なこと、(4)急ぎじゃなく大切でもないこと、に仕分けするのですが、どの研修でも、(3)の「急ぎじゃないけど大切なこと」が一番重要だといわれます。最近、書店に並んでいる「課長の時間術」「仕事の段取り力」など、どれを読んでも必ず「急ぎじゃなく大切なこと」の重要性を説いています。

それは、「大切なこと」であっても「急ぎじゃない」から後送りするからで、「後送りする」ということは、現時点で処理をしないことですから、この次にリストアップされたとしても、やはり「急ぎじゃない」から「後送り」されます。ですから、いつまでたっても、この「急ぎじゃないけど大切なこと」は陽の目をみることがないのです。だれもやらない(4)の「急ぎじゃなく大切でもないこと」同様、リストアップする必要がないくらいです。

仕事のできる人をみていると、優先順位をつけないで、かたっぱしから処理しているように思えます。もちろん、この「重要事項、緊急事項」のマトリックスが頭の中にあり、それにもとづいて仕事をこなしているのかも知れません。仕事のできない人は、優先順位をつけようがつけまいが、急ぎの「緊急事項」に追われて仕事を処理しています。もちろん「急ぎじゃなく大切でもないこと」は無視することに変わりはありません。

私見ですが、仕事のできる人と、そうではない人の違いは、この優先順位の付け方よりも、リストアップする仕事そのものに違いがあるように思えます。「何をやるか、何をやらなくてよいか」の選択が一番重要に思えるのです。私が前に所属していた大手の外資系企業でのマネジャー研修で教わったことは、優先順位は「今日、それをしないと『会社が存続しない』と思うことからやりなさい」でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »