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2011年5月30日 (月)

不要不急症候群

「不要不急」とは、意義素としては「必要がなく、急ぎでもない」ことですが、類義語で「目下、なくても問題ない」「後からで問題ない」というのがあります。かの震災後に、「不要不急の仕事、つまり、重要でも急ぎでもない仕事の場合、会社に来なくていい」と、会社から指示を受けて、「オレの仕事は不要不急なのか」と自分の仕事の価値や、自分自身の存在価値に、疑問を感じてしまった人もいます。
原発事故の影響からくる計画停電や電力消費の自粛の動きも、「不要不急」という、これまでめったに使われることのなかった言葉がきっかけとなり、世の中「節約ムード」に突入したようですが、駅の構内も、お店も、いつまでエスカレータを止めたり照明を落としつづけるのか、解がないまま、どこも「右へならえ」です。まさに、不要不急症候群に罹ったみたいです。ガソリンの消費量も減る一方で、原油価格も値下がり始めました。
外部講師を手配していただいているベンダーさんの営業の方から聞いた話では、震災後は、例年実施される幹部研修など「トレーニング」の定番ものは別として、人材育成に必要と思われる新しいテーマについての教育は「不要不急」のものと見做され、実施を先送りされる傾向が強いとのことです。そして教育の全体予算としては減ってきているようです。教育は「不要不急」なのでしょうか?
それでも、リスクマネジメント(危機管理)に関しては、マネジメントの考え方に、変化が見られます。いままでは、日本の原発の安全神話同様、いかに危機を起こさないかというのが中心でした。それが震災後は、「危機は管理できない」ものだから、「起こったトラブルにいかに対処するか」というクライシスマネジメントを重視するようになりました。とはいっても、過去の危機からその対応方法を学んできた欧米企業とは、実効性でかなりの開きがあると言われています。
自然災害でIT系統がダウンしないようシステムを維持し、万が一の時には速やかに復旧させるためDRP(災害復旧計画)が経営にしっかり根づき、マネジメント機能や拠点を分散してバックアップする体制を築いている欧米企業では、同時多発テロを経験もあり、DRPは大災害に見舞われても、システムだけでなく、ビジネスもきちんと継続できるBCP(事業継続計画)へと進化し、必要不可欠なものとして導入されているようです。
ある調査によると、日本企業でBCPに取り組んでいるのは、上場企業で2割程度だということです。ちなみに、欧米のグローバル企業は約7割が導入していると見られ、日本企業は大きく遅れている状態です。もちろん、未曾有の大災害だったことは確かですが、「想定外の原発事故」とか「想定外の緊急事態」という言い訳をせず、これを機に、日本企業は、いつまでも「不要不急症候群」に留まっているのではなく、実効性のあるBCPを経営にしっかりと根付かせて行きたいです。

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2011年5月23日 (月)

日本の経営

ビジネスに携わる人たちの中で、日本の経営について論じた名著「日本の経営」(原題:“The Japanese Factory”)と、その著者ジェームズ・C・アベグレン氏を知っている人は、いまどのくらいいるでしょうか。

アベグレン氏は、戦後日本の大企業の実態調査をつぶさに行い、それを基に日本の経営が終身雇用、年功序列、企業別組合の三つの特徴を持つことを指摘し、この三つはその後、日本の経営の“三種の神器”と呼ばれるようになりました。

この著書の中でアベグレン氏が言わんとしていることは、このような日本の経営のあり方を西欧(特に米国)のやり方に対する“遅れ”として捉えるのでなく、単なる“違い”と考えるべきであり、それなりの長所を備えたものであるという見方です。このことは日本的経営に関する自信を回復させたばかりでなく、アメリカ式組織および管理の制度が絶対的なものではなく、いくつかの可能な方式の一つに過ぎないというメッセージにもなりました。

ところが、90年代に入るとグローバル・スタンダードなるものが登場し、企業経営においても株主主権、成果主義賃金制度、流動的労働市場といった国際標準なるものに合わせて経営を改革しなければならないという考えが支配的な座を占めるようになりました。その結果、そこに働くサラリーマン、ビジネスパースンの一人ひとりにも、そうしたフレームワークの中で生き残るための自己変革や対応が求められるようになったわけです。

かたや、企業組織を構成する一人ひとりの価値観やライフスタイルも時と共に多様化してきていますから、仕事の仕方や処世のノウハウについて一律の指針を示すことは簡単ではなくなってきています。セミナーを開いて、しっかりしたキャリアプランを持ちなさい、中核的専門能力(コアコンピタンス)を身につけなさいと言っても、それは総論的には正しいけれども、では具体的にどうしたらいいかということになると、百人百様の答えを求めなければならないことになってしまいます。「“できる人”になれ」と言うのは易しいけれども、その実像を描いてみせることは至難です。これまた千差万別にならざるを得ないでしょう。

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2011年5月16日 (月)

実戦力

「話し方も上手だ。スライドもきれいで見やすくできている。論理構成もソツなく、わかりやすい。受講した人たちも“わかった”、“よかった”と満足そうな顔をしている。でもね・・・。私にはなにか“これでいいのか?”という疑念がいつもついて回るんです」

そう言った人は、戦後の混乱期から高度成長の繁忙期、そしてバブル後の激変期までの半世紀あまりを自らの力で乗り越えてきた元サラリーマンです。彼はこう続けます。

「どうもね。今行われている啓発セミナーの多くは、昔風に言えば道場剣法を見ているような気がするんです。形もいい、理論もそこそこ、ワークショップと称して竹刀(しない)の振り方もやらせている。説明するほうもされるほうも、なぜかそれで納得してしまっている。しかし、それじゃあ真剣持って戦ってみろと言ったら本当にそれで戦えるのかといえば、やはり心許ないと言わざるをえないし、実際できるとは思えないのです」

彼の言うことをさらに要約するとこうなります。つまり、いつの時代もビジネスマンにとって仕事の場は、いわば戦(いくさ)の場だ。兵隊に鉄砲の撃ち方を教えたからすぐにでも戦場で戦えるかというと、そうではない。ジャングルではどう戦うのか、市街戦ではどう動くのか、状況に応じて自分で動けなければ戦は負けるし自分も生き残れない。セミナーに関して言えば、実務的と自称しているものですら、実態としてはやはり座学の域を出ていないことが多い。座学が無意味だとは言わないけれども、実際の戦場を理解していない説法は、所詮(しょせん)畳の上の水練でしかないだろう。「戦略とは・・・で、戦術とは・・・だ」「目的とは・・・で、目標とは・・・だ」「問題とは・・・で、課題とは・・・だ」等々、言葉の定義説明に精力を費やしているようなセミナーで、はたして「実戦力」は身につくのだろうか、ということです。

 奇しくも今年の3月、東日本大震災でもたらされた原発事故に際して世間に再認識されたのが「現場力」でした。日本の底力は試練に遭遇したときに自分のイニシアチブで問題を解決する「現場力」の強さだと、多くの人が改めて気づかされたはずです。一般の企業活動においても、自らの判断で適切な行動がとれる“自走能力”を身につけさせるところに教育訓練の意味があるのではないか。そうした視点からセミナーの内容を見直す必要はないのかという一石を、彼は投じているのです。

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2011年5月 9日 (月)

教育制度の有無

弊社の採用担当の話では、よく就活の学生さんから「教育制度がありますか?」と聞かれることがあるといいます。「会社に入ったら教育制度で成長できるんだ」と思っているのかも知れませんが、会社は人が成長する場であって、成長させる場ではありませんので、「教育制度があるから入社する」といわれても困ってしまいます。

また、「成長」というのは、「できないことがある」ことを自分が認識することから始まり、「できないことをできるようになる」結果において「成長」といえるのではないでしょうか?これは何も新入社員に限ったことではなく、企業が人の成長によって経営理念の実現、業績の向上を目指す限り、管理職を含め全社員に当てはまることです。

もっとも、会社は、成長する気のない人材をいつまでも教育しているわけには行きませんので、個々の社員が「よりよい仕事ができるようになる」ための成長へのモチベーションを持ち続けてくれることが重要となります。弊社の人材育成部門では、人材開発グループが「行動変革を促すマインド教育」を、能力開発グループが「業務スキルを習得するトレーニング」を行っています。

企業の教育が学校教育と異なるのは、その教育が「経営理念の実現や業績の向上」につながるか、ということを常に問われることです。たとえば、実施した研修そのものはよくても、業務に戻ると研修内容が活かされていない場合や、教育や研修が独り歩きしていて、その内容が現場の実態と合っていないケースです。

就活の学生さんが気にされるように、教育制度が整っていない会社や、まったく教育制度がない会社があるのも事実です。私の知る限り、上場企業でも「研修などしたことがない」という会社もあります。注意したいのは、これらの企業は、常に業績が向上していて、ずっと「仕事そのものが教育」とみなされ、体系的な教育を整えなくても人材育成はできるという考え方なのです。

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