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2011年4月25日 (月)

読む力は生きる力

大学で教えている講師の先生に聞いた話ですが、最近は「本が嫌いなのは当りまえ」「読まないのがふつう」という学生が増えているそうです。私たちが彼らに「本を読むようになってほしい」と願うのは、この困難な世の中を渡っていくのに、本を読むことが大きな助けになると直感的にわかっているからでしょうが、彼らにとっては、本を読まなくても、他のことに助けられて今日まで成長してきたのだから、とくに本を読むことを好きにならなくても平気だというのです。

「昔は本なんか読まなかったけれど、それでもみんな立派に育ってきた」といわれますが、当時は子どもたちの周りにたくさんの大人たちがいて、その社会で生きていくのに必要な生活文化を自然と受け取れるという環境にありました。心配なのは、いまの子どもたちの多くは親と先生以外の大人に接する機会が少なく、人間によって育てられているというよりは、テレビなどの映像メディアに育てられているといっても過言ではないでしょう。

いまの子どもたちの多くは、テレビ、ゲーム、携帯などの遊び道具があり、もはや大人に興味を持たなくなっているのではないでしょうか?昔の子どもたちは、楽しみを大人に求め、お話を聞かせてもらったり、遊んでもらったり、何かにつけて、つきまとっていました。ところが、いまの子どもたちは、楽しむために大人を必要とせず、遊びの道具を買ってもらうスポンサーになりさがりました。

「本を読む」ということが、社会のなかで大きな位置を占めるようになったのは、わが国ではたかだか130年あまりにすぎません。本の歴史そのものは非常に古いのですが、大量に印刷、製本する技術が難しかったために、本格的な本の時代が訪れたのは明治になってからでした。新しい西洋文化への好奇心や、教育による立身出世の可能性が広がり、読書は誰もが身につけるべき教養、万人の楽しみと見なされるようになりました。

本を読まない人の多くは「これからは電子メディアの時代です」といいながら、実は、集中力をもって本を読めないのです。最近の学生さんだけでなく、社会人の中にも「本を読めない」人がいます。「字を読む」ことにも「書く」ことにも不自由がないにもかかわらず「本が読めない」のです。私の知り合いにも本をほとんど読まない若者がいます。「読もうと思っているが、どうしても身体が受け付けてくれない」というのです。

前にも書きましたが、子どものころに読書に興味を持つ機会が乏しく、本を読むことを習慣としていないと、読書力もなく、当然、読解力もない自分を、どのように社会で生きていこうとされるのか気がかりです。「読む力は生きる力」ではないでしょうか?

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