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2011年3月28日 (月)

導入研修と計画停電

今年の新入社員の導入研修ほど、準備手配が後手の状態になったのは珍しいことです。もちろん先の東北・関東大震災の影響は、計り知れないものがあります。あの日から通勤そのものが思うに任せない人が増える中、入社予定者にコンタクトするにも、回線のつながりが良くなく、過ぎゆく時間に焦りを感じながら、悪戦苦闘の毎日でした。他社の研修担当に聞いても、同じような苦労をされていた様子でした。

ある企業の担当者に聞いたことなのですが、入社予定者に研修会を予定通り開催する旨の連絡をとっているとき、この期に及んで、親元を離れることに不安をいだく人もいたようです。学生から社会人になるというのに、何の覚悟も持ち合わせておらず、会社に雇われて働く意味がわかっていないようです。彼にとって福島原発の事故現場で作業する人たちの決死の覚悟はどのように映ったのでしょうか?

また、原発事故の影響で、関東圏では「計画停電」に入っています。研修会場を東京都下の都心から離れた施設で用意されていた会社は、一時は、会場を関西に移そうとされたそうです。ところが大所帯で長期間となるとなかなか借りられるところがなく、泣く泣く停電覚悟で据え置きにしたそうです。もっとも、新宿にある本社の会議室を出来る限り活用することになったのは幸いでした。

停電になると困るのは、プロジェクターを使っての講義が出来ないことです。しかし、プロジェクターがなかった頃は、紙芝居のように画面を何枚も作って用意したものです。それに、研修の場合は、いまでもパワーポイントを使用しない講師の先生もいらっしゃるくらい、紙焼き資料を配布することで用を足すこともできます。それが当たり前の状態から、なにもない状態におかれるのですから何らかの工夫が必要なのです。

停電になったとしても、受講生にとってもいい経験になると思います。被災地で頑張っておられる方のことを思えば、時限的な計画停電など、大したことではなく、むしろ、受講生に、停電になったらどうするなど「考える」時間を与えられる、いい機会になるのではないでしょうか?最近の若者は「考えることが苦手」とおっしゃるなら、この際、大いに考えてもらえばいいと思います。

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2011年3月21日 (月)

朝の挨拶

新入社員研修の定番ともいうべき「マナー研修」では、挨拶の重要性が必ず出てきます。「挨拶は、相手と対面して最初に行う動作なので、人間関係を気付く上でのファーストステップ」などと教えます。コミュニケーションにおいて、それだけ重要な役割を果たす挨拶ですが、他にも人を前向きにするといった効果があると言われています。「おはようございます」と明るい声で挨拶すれば、周りの人たちは「元気だなあ。自分も張ろう」という気持になるはずです。

私は、出張先のホテルで、朝のエレベーターに乗り合わせた相手に、かならず「おはようございます」と挨拶するのですが、いまだかって相手から先に挨拶されたことはありません。皆さん会社員で、これからチェックアウトをして現場に乗り込もうとされているのでしょうが、そのことで目いっぱいなのか、他人に挨拶するような余裕はないのでしょうか?こちらからの挨拶に、あわてて「おはようございます」と言葉を返してきます。

最近よく目にするACジャパン(公共広告機構)が、昨年から流しているCMで「挨拶の励行」というのがあります。これは小学生の低学年までを対象に企画されたもので、挨拶をするたびユニークで楽しいキャラクターが登場し、友だちが増えていく様を、歌とアニメーション で表現され、挨拶は楽しいこと、友だちが増えるのは素敵なこと、というメッセージです。もっとも、友達を増やすために意識的に見ず知らずの人に挨拶する人はいないと思いますが・・・。

皆さんはハイキングや山登りのときなど、すれ違う相手に「こんにちは」と挨拶してやり過ごします。最初は、相手から先に言われても、次にすれ違う相手には、自分から挨拶するようになりませんでしたか?これは、会社で交わす挨拶と同様、同じ目的をもっている仲間として「見ず知らずの」相手を認めている結果なのでしょうか?それとも、ハイキングも山登りも、仕事から一時的に解放された遊びの時間だから、こころに余裕が出来ている結果でしょうか?

以前、2週間ほど入院した経験があります。私は、このときも、看護師さんはもとより、同病棟の患者さんにも、積極的に「おはようございます」と挨拶していました。手術前に何かを思いつめているも、術後のリハビリをしている人も、云われてみて初めて「おはようございます」と挨拶を返してくれます。もちろん、2回目からは、相手を気遣うことばも、お互いに挨拶のあとに続きます。これも、同じ病院仲間として捉えていたのかも知れません。

ただ、先のエレベーターの中では、挨拶しても挨拶を返さないビジネスマンがいました。たぶん、見ず知らずの人から声を掛けられたことに対する違和感があったのでしょう。この人も会社では、管理職研修などで、コミュニケーションの大切さを学習しておられるとは思いますが、いざ、現場に出ると「学習したこと」を活かせないタイプのようです。考えるに、人はもともと他人とコミュニケーションをとるのが苦手なのかも知れません。だとしたら、自分から「積極的に挨拶しない」というのは、わかるような気がします。さて、あなたは?

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2011年3月14日 (月)

ポートレイト(肖像写真)

外部講師の先生方が所属する研修機関の講師紹介ページにある写真は、ほとんどが、カメラ目線で、どこかかしこまって映っている写真が多いです。ネクタイやピアスなど要らないと思いますが、どちらかというと掲載写真は、普段ご登壇いただくご本人より表情が硬過ぎます。もちろんチャンとした写真館でお取りになっているとは思いますが、カメラマンに「自分は研修講師」と自己開示されているとは思いません。素顔の写真が欲しいのです。
前にテレビで見たことがある「遺影写真」をとるという番組でも、お葬式での遺影写真は、もちろん家族が「立派にみえるもの」を選ぶのでしょうが、「その人」と「なり」を写しているとは思いません。家族の思いがそうであっても、葬儀に参列する関係者の皆さんは、日頃のお付き合いの「その人」らしい遺影がかざってあれば、よりいっそう親密感を深めることでしょう。テレビでは、自分の「素顔」の遺影写真をとっておきましょう、というものでした。
先日、そのテレビで紹介された新中野にある「素顔館」というスタジオにいってきました。飾ってある「実績写真」は、どれもとてもいい表情でした。ホームページで紹介されたプロフィールでは、そこの館長さんは元資生堂の宣伝広告写真部に在籍されていたそうで、独立後は、有名な写真展で賞をいくつも受賞されているプロのカメラマンです。お客様お一人お一人のご注文に応じて「肌が生き生き輝くライティング」で、いちばんその方に似合う光を作るのでしょう。
それにしても、どのようにして「素顔」をつくるのか、興味がありました。出迎えの挨拶が終わるとスタジオに通されました。テーブルに向かい合って話し始めました。最初は、「どこでここを知ったのか」とか「どんな写真をとりたいのか」といったありふれた質問でした。そのうち、とても美味しいお茶を入れてくれました。あ茶にも急須にも、こだわりを持っていました。気さくな服装を見ても、スタジオの機材の配置をみても、すべてにこだわりをもっている人だとわかりました。これが彼の素顔だと思いました。

それから質問攻めにあいました。私も仕事柄、できるだけ、こちらから聞き出そうとするのですが、私の仕事だとか、役割、仕事以外の遊びだとか、次から次へ、こちらが「いきいきと話したくなる」ように質問を受け、話させられました。20分ほど経ってから、ようやくスタジオのカメラのまえに通されました。といっても、カメラとⅠメールもなかったと思います。その至近距離で、今度は、カメラマンは、私に話しかけるのです。さきほど得た情報をもとに、私を愉快にさせるのです。

あとは、4~50枚ほどとった写真を彼と一緒に選ぶのです。1カ月以内で、DATAとともに自宅へ送ってくれます。これが
素顔をとるポートレイト撮影の体験談です。それにしても、充分の「なり」と「ふり」を先に見せる、相手に対する心遣い、相手を開示させる的を射た質問、緊張の画面を意識させない話し掛け、などなど、私たちの受講生と講師の先生と同じような関係ではないでしょうか?私は充分、感銘を受け、誰かに紹介したくなりました。

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2011年3月 7日 (月)

Yes or No

「Yes」「No」の答えをはっきり言える欧米人と違って、単一民族で島国育ちの日本人は、伝統的に従属的な考えを持ち、相手の立場を考え、「Yes」か「No」の判定を求められても、その両極の程よい位置を見定めようとします。私たちの研修でもアンケートの回答を「12345」で「Yes、No」の選択をしてもらうと、どちらでもない「3」の答えが多くなります。最近は、その「あいまいな」意思表示を防ぐため「1234」で、中間をなくして、意志表示をはっきりしてもらうようにしています。

もともと、何事においても「Yes」か「No」の判断は内容によって単純に下されるはずですが、日本人の根幹にある「従属的な考え方」が複雑に心に入り込んでいて、欧米人のように単純に答えられないのかも知れません。ましてや力関係で上にある相手には、「従属的な考え方」がもたげてきて、なかなかNoとは言えません。アサーション・トレーニングなどのコミュニケーション研修では、上司に対しても上手に「No」といいなさいと言われるのですが、演習ではできても実際の業務の場面となると、なかなか難しいと皆さんおっしゃいます。

まえに第二次世界大戦のころの山本五十六の語録を紹介したことがありますが、同じころの人物で、山下奉文という大将がいました。当時、シンガポールを陥落に落とし込んだ日本の大将がイギリスのパーシバル将軍と停戦協定の話し合いで、「Yes or No」と迫ったことは有名で、「Noといえない日本人」にとっては武勇伝として当時もてはやされたそうですが、それも力関係で優位に立っていたからだと思います。

「Noと言えない日本人」という言葉が流行ったり、「Noといえる人は勇気がある人」だと賞賛されたりします。私の知り合いの外国人の多くは、「日本人はYesかNoかと聞いても、はっきり答えてくれない」といいますが、私は彼らに「日本人の答えはYesでもなくNoでもない第三の答えを持っている」と答えます。「Yes or No」と聞かれれば「Yes」でもなく、「No」でもなく「or」なのです。
「Yes」でもない「No」でもない「第三に答え」は、塾考のうえの判断なら聡明な返事といえますが、ただ「あいまい」だと受け取られかねません。そんなときは、「Yes and No」といって、自分が何を考えているのか、熟慮したことが相手に充分つたわるように、はっきり説明する必要があります。「そんなダブルスタンダードが世界に通用しない」といわれても、それが日本文化の奥ゆかしいところなのです。

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