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2010年10月25日 (月)

公私混同?

私たちが研修を外部講師の先生にお願いするとき、ベンダーさんの営業の方を通じて手配します。今回の研修のねらいや要望を聞きとるヒアリングから始まり、カリキュラム案の提示、講師の先生とのすり合わせ、見積りの提示、実施に向けての準備品の確認などがあります。

私方としても、関連部署との調整に手間取ったり、会議室を抑えることができずに日程変更を余儀なくされたりしますので、カリキュラムの修正や、講師日程の調整などで、迷惑をかけることになります。身勝手ですが、この過程でのベンダーさんとのやりとりは、レスポンスの早さが要求されます。

そんな中で、他社と比較して、レスポンスが人一倍早く、しかも丁寧な対応をしてくれるベンダーさんがあります。とはいってもその会社の営業の方ですが、週末に問い合わせた案件でも、翌週の頭には必ず返事をくれますし、急ぎであれば、その通りの対応をしてくるのです。

彼は他のベンダーさんの営業の方と比べ、すこし年配で、多分、社内での調整や折衝ができやすいポジションにいるのかも知れませんが、昼までも夜中でも、メールを返してくるのが不思議で、四六時中、仕事ばかりしているように思えました。

ある日、彼に「いつ休んでいるのですか?」、と聞いたところ、「いつも休みながら仕事を楽しんでいる」という答えが返ってきました。彼によれば、土曜日も、日曜日も、仕事があれば、即、対応しているのは、平日も休みの日と同様、プライベートのことも同時に楽しんでいるからで、まさに「公私混同?」が彼の仕事のスタイルであり、遊びのスタイルだという。

「もちろん仕事の時間は多いです。」という彼は、それでも苦にならないのは、顧客を魅了するサービスがゴールになっている様子で、そのことが楽しいことなのかも知れません。私の座右の銘は「公私混同」ですと、楽しそうに話してくれました。

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2010年10月18日 (月)

人間vsコンピュータ

先週、将棋の女流王将と情報処理学会のコンピュータ将棋ソフトとの対戦があり、「コンピュータが女流棋士を破る!」というニュースがありました。日本将棋連盟によれば、コンピュータが駒落ちなしで女流とはいえプロのトップ棋士に勝つのは初めてとのこと。
将棋はチェスと違って、取られた駒が再び相手に使われることもあり、次の一手の選択パターンが10の224乗あるといわれています。将棋ソフトの開発を始めて35年で、大きな壁を突破した情報処理学会の関係者は「女流棋士を倒したら、次は男性プロ、そして名人に挑戦したい」と意気軒昂です。
ただ、いろんな情報を集めてみると、単に「一棋士とコンピュータの対決」といった簡単なものではないようです。というのは、今回のコンピュータ将棋システムは、「ボナンザ」など世界コンピュータ将棋選手権の優勝歴を持つ4ソフトが終結し、169台のコンピュータを並列化した東京大学のクラスターマシンで計算作業を行なうというものでした。
しかも、対局中は、これら4つのソフトが出した指し手を受け取り、最も多い手を最終的な結論とするシステムで、驚いたことに、結論が出ないときは、4ソフトのうちのどれかが「委員長」の役割を果たし複数の受け手から決裁をするそうです。
こうして見ると、いま市販されている家庭用ソフトでの対局のイメージとは異なり、1対多数の勝負のように思えます。メディアでは「人間vsコンピュータ」の戦いと報道していますので、表だけの情報では、単に「やっぱりコンピュータは強い」と一方的な認識をもつことになるのでは、と思います。
私個人の見解としては、これだけシステムを組んで「よってたかって」掛からないと、コンピュータは「人間の能力には追いつけない」のだと、改めてプロフェッショナルな人間の力に敬服する次第です。

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2010年10月11日 (月)

天動説な人

むかし、「天動説」と「地動説」とのあいだの論争というのがありました。 「太陽が地球のまわりをまわっている」と考えるか、「地球が太陽のまわりをまわっている」と考えるかですが、いまでは誰しも「地動説」のほうが正しく、地球のほうが動いていると考えています。

しかし、考えてみると、天動説というのはコペルニクスが地動説を唱える以前は人類全てが信じていた考えであり、自分の視点が不動のものであり、天体が地球(自分)を中心として回転するというのは人間の本性にもとづく自然な解釈であると思います。

受講生を講師目線からみる講師の先生に限ったことではないのですが、社内でもマネージャークラスに「上から目線」で「自己中心的な人」を見かけます。カリスマと呼ばれる偉い先生とか、社内で多くのメンバーを率いる人には、恐れ多くて、誰もそのことを指摘することはありません。もっとも、その考え方でやってきたからこそ、今日のご自分の地位があるのかも知れません。

世の中すべてが自分を中心に回っているという考えの持ち主ですから、上のクラスに行けば行くほど、自分のやり方が正しいのだという自信を持ち、ますます「天動説な人」になっていきます。ご本人は気がついていないのではなく、まじめに「自分が正しい」と思い込んでおられるので始末が悪く、自信から過信、慢心への道を辿らなければよいのですが・・・。

この前、ある研修会社の営業窓口に人に、上から目線の「天動説な」講師でなく、受講生目線の「地動説な」講師で、とお願いしたところ、私たちの講師はみんな「人道説な」講師ばかりですと、冗談めいて答えていました。たぶん彼は、詩人で劇作家の、今は亡き寺山修司さん晩年に語ったとされる「地球は天動説でもなく、地動説でもなく、人道説、すなわち、人が動かしているのだ。」というのを引用したのだと思います。

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2010年10月 4日 (月)

ゆとり世代への処方箋

定期的に開催されているという、あるコンサルタントグループの勉強会に参加させてもらいました。今回は、採用・面談技術、アセスメント、人事制度設計等を担当されているシニアコンサルタントの方が「ゆとり世代への処方箋」というテーマでプレゼンテーションされたあと、研修業務に携わる参加者とのディスカッションでした。

 

プレゼンテーションの内容は、ゆとり世代とはどのようなものか定量的に理解し、ゆとり世代にどのように対応すればよいかの処方箋の種をみつけるというものですが、さすが専門の方で、大学・高校での実態や大学の対応など、掘り下げた詳しいデータを用いての説明は、どれも納得のいくものでした。

 

勉強になったことの一つは、私たちは、もっと「ゆとり問題」を認識しなければならないことです。「ゆとり世代」は学校教育だけが問題でなく、家庭教育や社会構造も問題であり、大学名で採用していれば、ある程度の人材が確保できていた時代は終わり、採用戦略において、基礎学力、メンタルタフネス、自立性の確認に加え、試用期間の活用を重視するようになるからです。

 

次に、入社後の処方箋として、アセスメント、メンター制度の充実、評価制度の変更はもとより、本当に必要な能力が付与される研修を模索しなければならないと思いました。さらに、事業部に対しては、指示・命令の徹底と権限委譲について、マネジメント向けに具体的なスキルアップの必要性を強く感じました。言われてみれば、私たちは「ゆとり問題」に対して会社が何をすべきか、何ら課題を整理できていないのです。

 

それに大切なことは、「ゆとり世代」に対して、問題点ばかりが浮き彫りにするのではなく、「ゆとり世代」が持つ、優れた点をもっと見つけて、お互いに共有することです。やれ「正解を欲しがる」「与えられることに慣れている」「叱られることに慣れていない」など、いつもマイナス面ばかりではでなく、逆に「型を守った行動の実践が得意」「言われれば素直に耳を傾ける」「情報処理能力が高い」などなど、プラス面も同じ量で持ち合わせているのですから。

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