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2009年10月26日 (月)

「ひと」と「人間」

「あの人は、人づきあいがうまい」という表現がありますが、「人間関係が苦手」な人が増えているのは事実のようです。いまの情報社会では、知りたい事はすべてインターネット、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌から直接入手することが可能ですから、人を通さなくても、生活に困ることはないのかも知れません。

しかし、「人間関係が苦手」という人は、相手に何かを頼んだり、頼まれたりする「行為」をできるだけ避けようとされておられるのではないでしょうか?もちろん、人とのかかわりを捨てれば問題ないのですが、社会人として仕事をしていくうえでは、そうは行かず、「人間関係」は欠かせないものになってきます。

そもそも「人間」とは、「人と人の間」という意味で、社会的なあり方、関係性、人格を中心にとらえた「ひと」のことで、単に「ひと」という場合は「ひとは誰も・・・」とか「ひと事」のように不特定な相手を指しますが、「間が悪い」「間合いがよい」「間の抜けた」「間引く」など、「間」は必要不可欠なものとなっています。

ルソーの言葉に「植物は耕作によりつくられ、人間は教育によってつくられる」とありますが、現代でも日常的に「人は教育によって人間になる」「教育によってヒトは人間になる」といったことが多くの人々によって言われ続けています。教育によって得た知識を、「わかる」→「できる」→「やってみて成果につなげる」には、「ヒトは行動を起こさない限り、相手のヒトと関わりをもてない」のではないでしょうか?

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2009年10月19日 (月)

種を蒔く、樹を植える

異業種交流会で知り合った、ある大手企業さんの研修センターを訪ねたとき、入口に掲げてある書をみて感じ入りました。「一年の計 真如樹穀、十年の計 真如樹木、終身の計 真如樹人」と書いてあり、意味を聞いてみると、人材育成の重要性を説いた中国の古典「管子」権修編に由来するもので、「一年の計を立てるなら穀物を植えるがよい、十年の計を立てるなら樹木を植えるがよい、終身の計を立てるなら人物を育てるのが最もよい」とのことでした。

いまの時代は、ますますグローバル化・IT化する一方で、消費者ニーズの多様化・高度化といった価値観の変化がすすんでいます。企業のあり方、そこで働く人たちの意識や環境のあり方も時代とともに変わってきました。結果、新たな経営課題として、情報力(ネットワーク化)、企画・提案力(サービス化)、開発力(ハイテク化)、コスト対応力(生産性・効率化の強化を迫られています。

これらは、すべて総合的な「人材レベルの向上」ということに尽きます。さまざまな課題や対策の根幹は、売り上げや利益や商品やお金でもない、「人そのものの育成」にあるといえます。その意味で「終身の計 真如樹人」というのは、ぴったりの言葉で、この研修施設が「樹人館」=「人を樹える」からきているのには感心させられました。

翻って私たち研修担当の仕事に当てはめて考えてみると、新入社員さんというのは、まさに大木になる種子で、植物は光と水さえあれば育つといわれても、土壌が腐っていれば元も子もなくなりますし、水をやりすぎても、かえって植物はそだたないので、試行錯誤を重ねている状態です。

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2009年10月12日 (月)

どさ?ゆさ!よらい!?

私たちは仕事を進めるときに、会話というコミュニケーションによって意思を伝えます。そのため、言葉が通じさえすれば意思が伝達できていると考えがちです。コミュニケーション研修では、意思の伝達は、「言語」「非言語」「コンテクスト」から成り立っていて、言葉だけがコミュニケーションではないと教わります。

辞書によれば、コンテクスト(またはコンテキスト)とは、日本語では「文脈」と訳されることが多いのですが、他にも「前後関係」、「背景」などと訳されています。「コミュニケーションの基盤となる状況や価値観、信念、習慣などを指す」とあります。すなわち、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストといいます。

「どさ?」「ゆさ!」の意味をご存じでしょうか?これは青森弁で『どこに行くの?』『お風呂(銭湯・温泉)に入りに行くんだよ』という会話なのです。たった4文字なのにしっかりした世界一短い(?)コミュニケーションです。

以前、テレビを見ていたら、タレントや俳優が、それぞれの出身地のお国自慢をその土地の訛(なまり)で言い合う、という番組で、「「どさ?ゆさ!よらい!?」といっていたのを覚えています。青森だけでなく秋田でも同様の方言があるようで、秋田弁で「どこへ?」「お風呂だよ!」「帰りに寄っていきなさいな!?」という意味だそうです。

コンテクストは会社や職場といった小さな単位にも存在します。会社が違えばコンテクストも異なります。たとえば営業には営業の、経理には経理のコンテクストがあります。職場のコンテクストはメンバー、なかでもマネージャーが知らず知らずに創り出しています。

問題は、新人や中途採用者を迎える職場では、この「言語」「非言語」より「コンテクスト」が大きいほど、ミュニケーションが難しいということです。先輩から見れば「言わなくても分かっているだろうが」といわれても、後輩にとってみれば「言ってくれないとわからない」となるのです。

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2009年10月 5日 (月)

講師の副業

外部から招聘する講師の先生の略歴を拝見していると、過去に、いろいろな職種に付かれていて、社会的な経験が多く、それを「売り」にされている方が多いのですが、現在はというと、ほとんどの方が、職業としては講師の他に何かをなさっています。また、その何かが本業で、講師が副業という場合もあります。

作家が本業で、その執筆活動の合間を縫って、研修をしている先生もいらっしゃいます。主にご自分が書かれたビジネス書の内容にもとづいた講演依頼や研修が多いようです。この先生に言わせると、執筆活動と研修への出講は、情報源からして、持ちつ持たれつで、どんなに書籍が売れても執筆活動だけに絞り込むつもりがないそうです。

スピーチの先生は、結婚披露宴やイベントの司会、ナレーターの仕事が本業の方が多いようです。ただ、研修となると、話法の技術ひとつ取っても、基本的なことは、理論的に押さえておく必要があり、かなりの勉強が必要といいます。それと、受講生一人ひとりに目をくばり、研修を通じて、その人の習得度を確認する作業があり、一方的なスピーチとは、少し趣を異にしているようです。

大学で講義をされている先生も多くいらっしゃいます。この方々に共通しているのは、研修を通じて、なんとか個人の力を引き出そうとされていることです。大学での講義では、いかに彼らを講義に惹きつけるか、彼らが何を求めているのか、つねに意識して講義にかからなければ、「良い講師」としての評判が取れないからで、研修での講義もその延長線にあるといいます。

最近、企業の戦略やプロジェクト運営のコンサルタントを本業とされている方に依頼する研修が増えてきています。現役のコンサルタントの方の情報量や仕事の進め方といったものは、講師専業の先生とは比較にならないくらい、臨場感があります。講師専業の先生では、時として、ご自分の過去の経験の切り売りになり、現状の問題解決や、将来の方向を導き出すことは難しいからです。

ただ、研修が本業か副業かは問題ではなく、たとえ講師専業であっても、大切なことは「人が好きで、一人ひとりの成長に興味をもって」臨めるかということだと思います。どんなに講義が上手くても、講師個人の自己満足に過ぎず、いかに受講生個人の潜在能力を引き出せるかにかかっています。これからは、益々この傾向が強くなると思います。

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