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2009年9月28日 (月)

講師の高齢化

弊社では全社的な研修は、私たち人事総務部門が担当していますが、営業部門など職能研修は、事業部ごとで行っています。先日、その営業部門の研修担当から聞いた話ですが、営業マンの研修で外部講師を招聘して実施しようとしているのですが、若い講師が見つからないというので困っている様子でした。

というのは、いままでお願いしてきた先生が高齢化したため、若い営業マンの研修では、どんなにいい内容であっても、あまりにも年齢に開きがあると、教えきれないことが多いというのです。具体的には入社4~5年までの若手となると、中途採用を含めても20後半~30代前半ですから、講師先生は、40代~50代前半までというのです。

理由は、年配の先生になると、ご自分の講義内容には日々磨きをかけられていて、内容的には全然問題ないのですが、いまの若者がどのような考え方でいるのか、どのような仕事ぶりなのか、価値観の違いはどこにあるのか、といったことに、あまり興味をもたれていない方が多いというより、「ご自分の若い時と同じ感覚」で受講生をとらえておられる節があるというのです。

彼のいう「年配の先生」といのは60代前後で、いままで業界で実績があるがゆえに、今日も研修をなさっているのです。その先生方も40、50のころは、若者のことも興味をもって対応されてこられたのでしょうが、60近くになると、どうも面倒になってくるかたが多いようです。早い話、その先生方に「ゆとり世代の若者を対象にした営業教育をお願いします」といえば、受けてくれる人は少ないといいます。

もっと問題は、その講師の先生が、ご自分が高齢化することで、そのプログラムができる若い先生を育ててこられていないのが現状です。やはり講師の先生は、このプログラムについては、自分が一番であり、いくつになっても一番でありつづけたいのでしょうか?それほどのこだわりがあればこそ、その年になるまで講師を張って来られたのでしょうか?

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2009年9月14日 (月)

あくびをした受講生

先週末の若手リーダー研修のときでした。外部の先生をお招きしての研修会だったのですが、研修中に一人の受講生があくびをしました。研修担当の私が立ち会っていたのですが、そんなに眠くなるような講義ではなかったと思いますが、彼にとっては退屈だったのかも知れません。

30人のクラスでしたが、その瞬間、先生の目に留まり、注意を受けるところとなりました。女性の先生で、にこやかに、彼に向かって「いま、あくびをしましたね。堪えていたのでしょうが、我慢できる方法をあとで、教えて差し上げます。」といって笑いをとりつつ、「皆さんは、外にでられたら、会社の代表ですから、どんな場合でも対面でのあくびはよくないですから。」と付け加えて、講義をつづけられていました。

研修は、一般的に受講生にとっては、「眠い、つらい、退屈なもの」のようですが、講師の先生は、それを承知で、いかに、「眠くならない、ためになる」研修を心がけておられるはずで、「眠くなったり、あくびをしたりする」受講生がでた場合は、「受講生にではなく、講師の方に責任がある」といわれもします。

今回は地方からも参加していますので、疲れがでていたり、睡眠不足になり勝ちですが、この場合は、どちらが正解なのか分かりません。ちなみに、先生の話では、その受講生は、休憩時間に、先生のところに謝りにきたそうで、先生も、彼が素直に受け止めてくれたことに、彼に賛辞を送ったそうです。

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2009年9月 7日 (月)

匿名と匿顔

私たちは、毎日、多くの人と顔を合わせてコミュニケーションをしています。ただ、IT社会になってからは、メールでのやり取りが増え、匿名ではなく、顔が見えないコミュニケーションを余儀なくされる世の中になってきました。

もともと、匿名というのは、ラジオなどの「匿名希望さん」が、名前を伏せて応募してきたり、寄付などの社会的善行に使われることが手段でした。私たち研修の事後アンケートも、時として無記名にするのは、できるだけいい意見を得ようとの試みからおこなわれるもので、ほとんどの場合が、いい意味での「匿名」と理解していました。

ところが、IT社会では、個人の匿名性を保証することにより、個人のプライバシーが保護できるという利点がある一方で、匿名であることをよいことに悪事を助長しかねない一面もでてきました。匿名性の利点を生かした「告発」により、不正を暴露することで公にできる一方で、匿名であるのをよいことに、後で自分の責任を追及され危険がないので、他人を誹謗中傷する人が増えてきました。

インターネットの掲示板などで見受けられるのは、かなり過激に攻撃した書き込みなど、本質的な価値より、その話題が、自分の中にあるエモーション(情動)だけで、出来事の重さを量っているように思えます。これは、「匿名」でないというより、顔を見せないで、感情の赴くままに攻撃できる「匿顔」のなせる技だと思います。

コミュニケーションの手段は、表情を読み取りながらの意思伝達にあるのに、「匿顔」は偏った意思伝達の方法であり、ある意味、その人の内面の表れだとしたら、顔を見せるコミュニケーションでは、自分自身を隠しながら、みんな無理をしているのかも知れません。

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