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2009年6月29日 (月)

面倒みるのが面倒

今年入社の新人さんも配属が決まりました。チューターと呼ばれる先輩諸兄も、その指導に必要な研修を終えて、現場で受け入れを楽しみにしています。導入研修を通じて、新人さんには、先輩から話かけられるのを待つのではなく、何事においても積極的に聴く姿勢を求めて来ましたし、チューターの皆さんにも、まずは、積極的に話かけてあげてください、とお願いしておきました。

チューターの皆さんは、それぞれの職場で、それなりの人が選ばれてきています。面倒見の良い人が多いので安心です。ただ、自分の仕事を抱えながらの職場指導となりますので、新人さんのために、どれだけの時間をさけるか、となると結構、厳しいものがあります。

チューター研修の先生の話では、会社の仕事内容によっても異なりますが、一般的に1日平均にすると約20%というのが多いようです。ちなみに当社のチューターの方の意見でも、平均的に同じ数字でした。先生の話では、何%でもよいのですが、最初に新人さんにそのことを伝えるようにした方がよいということでした。

そうでないと、新人さんはチューターの方が自分の面倒を、ずっと見てくれると思っていますので、誤解を生じることになり、手取り足とりになれば、それこそチューターさんも「面倒見るのが面倒」になってきます。一般的に面倒見のよいのは女性の方だといわれていますが、それは一昔の、子育てを任されていた時代のことであり、昨今では、何とも云えないと思います。

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2009年6月22日 (月)

絵本

最近、絵本作家の多くの人がいっていること、それは「絵本」というのは、「読み聞かせる」のが絵本であり、単に「買って与える」だけでは絵本ではないということです。そういえば、お子さんに絵本を読んで聞かせたご経験のある方はお分かりいただけると思います。

添い寝をしながら、お子さんに絵本を読んで聞かせることは、楽しいことではありますが、それは、本心からお子さんの成長を見守っている過程にあるのです。親が、読んで聞かせて次のページに移ろうとしても、お子さんは自分が納得するまで、そのページを押さえて、次のページへめくらせません。読み手のあなたも、お子さんの年齢に合わせて、ゆっくり読んであげたりします。

これは、正にコミュニケーションのあり方ではないでしょうか?添い寝をすること自体、コミュニケーションでいうタッチによるふれあいを確認できているのではないでしょうか?あなたが絵本を買うとしたら、単にお子さんに買い与えるだけではなく、読んで聞かせるためにあれこれ時間をかけて探して選ばれることでしょう。

研修は、人を育てるために行うとしたら、コミュニケーションは斯くあってほしいと思います。もちろん親御さんは講師の先生であり、受講生はお子さんに当たります。講師の先生も辛抱強く、相手を本気で育てる気持ちをもって臨んでもらいたいし、受講生は受講生で、自分が自立して育つために、講義を受けているのですから、すべてを吸収する意気込みで受講してもらいたいものです。

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2009年6月15日 (月)

送り手と受け手

コミュニケーションの重要性については、私たちは嫌というほど聞かされていますが、コミュニケーションの本質というか、何のためにコミュニケーションを取るのかといわれると、コミュニケーションの「送り手」と「受け手」の双方の側から考えないと答えがでません。

それは、「送り手」側のコミュニケーションとして、相手に伝えたい言葉、たとえば意味、事実、意思、アイデアなど、分かりやすくするために発するわけですが、それが結果として「受け手」の行動を促すことにならないと、コミュニケーションは完結したといえません。

自分は論理的な話し言葉が得意と言う人も、自分の意識にある伝えたいことと、それを言葉にして発する内容では、すでに80%しか表現できないと言われています。それを「受け手」側はどれだけ理解できるかといえば、まず50%がいいところではないでしょうか?だとすると80%×50%=40%となり、100%伝えたつもりであっても、相手の理解は40%になってしまいます。

「受け手」側が、理解したことを行動に移すとなると、期待値をもってしても50%というなら、40%×50%=20%になります。つまり、「送り手」が、いかにロジックにつたえようとしても、「受け手」が、納得して行動を起こしてくれるのは、わずか20%だということです。

ロジカルシンキング(論理思考)の研修では、グルーピング、筋道を立て方、なぜなぜ思考、ゼロベース発想、MECE、ロジックツリー、ピラミッドストラクチャーなど勉強しますが、「受け手」側に立場にたって言葉を発しない限り、コミュニケーションの完結という点からすれば、この行動への期待値は、ますます低いものとなることを肝に銘じるべきと思います。

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2009年6月 8日 (月)

ほめる

「人は誰もほめられて悪い気がしない」とは、よくコミュニケーション研修で、講師の先生が言われることですが、その具体的な「ほめ方」の演習となると、その研修会社によって違いがあり、中にはちょっと疑問に残るケースもあります。

本来、人を「ほめる」のは、人をやる気にさせたり、ミスがなくなることを期待して、相手に「信頼されている実感」を与えることだと思います。ですから、「事実に基づき」相手の優れているところを認め、言葉で伝えるべきで、事実でないことを、あたかもたたえているかのように言うことは「おだてる」ことになります。

研修会社の演習の例題が異なるというのは、「事実に基づき」ほめるのですが、ある会社の演習は「性格、容姿、センス」といった見た目をほめることしかしません。それは事実にもとづいているにしても、うわべだけのことで、その人の行為をよく観察して発せられる言葉ではないと思います。これでは相手に気に入られるように振る舞っているようなもので、「ほめる」のではなく「こびる」ことになります。

「ほめる」のは「行動をほめる」ことであってほしいです。別の研修会社さんは、ちゃんと「ほめる」の言葉の規定をしてから演習に入ってくれます。演習では、態度、取り組み姿勢、文書の書き方、話し方、決断能力などでの「行動をほめる」ことです。

この「ほめる」手法より「注意、しかる」手法の方が難しいと言われていますが、先の「うわべだけのほめ方」を続けていると、部下を注意したり、叱ることができなくなります。その場かぎりのお世辞めいた「ほめ方」をつづけていては、上司や部下の仕事ぶりを観察することが疎かになりがちになり、相手から見放される結果になるのです。

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2009年6月 1日 (月)

板書の技術

古くは小学生の時、先生が黒板を使って授業をしてくれました。いまから思えば、ずいぶん内容がよく網羅されていて、生徒は、食い入るように先生が書いてくれる文字を追っていました。それに比べ、いまの私たちは、会議室に黒板があるのですが、ほとんど使われたことはありません。

外部から招聘する講師の先生は、最近パワーポイントで作ったスライドを使って説明されることが多いのですが、ご要望により、ホワイトボードも準備させていただいています。ただ、このボードに書かれるのは、難しい言葉の説明とか、質問に対する集計など、ほんの少しです。

小学校の先生が、板書が上手なのは、生徒に分かりやすく伝える手段として、それしか与えられていない環境だからかも知れませんが、「板書の極意」のような本を勉強され、自分なりにいろいろ工夫をされてきた結果ではないでしょうか? それが、中学、高校、大学となると、板書の機会がだんだん少なくなって来ているように思います。

そして社会人になると、もうパワーポイントを使うことが板書の代わりのようになってしまい、肝心の「分かりやすく伝える手段」としての役目を果たさず、一方的な説明に終始しているような気がします。中には、その「手段」が目的化してしまい、スライドの見栄えにこだわり、作成した本人の自己満足に終わったりする人も見かけます。

私は、「ドクター漫談」で人気のケーシー高峰さんの板書がとても気に入っています。時間的な都合で予め書かれているものに、書き足して行くやり方ですが、そのボードに客を惹きつけるノウハウには、大いに感心させられます。PCを使ったスライド説明では、とうてい達成できない充実感があります。

最近では、ファシリテーションの技法の中に、板書の技術があり、板書役が重要な働きをします。板書することにより、 行き交う言葉が、白板の上に固定化され、空間に消えていく言葉が、記憶に残っていくので、
そこから議論が始まったり、その原点に戻ったりできます。

もっとも「板書役」には、それ相当の「人の話を聴く力」、「見える化する力」、「速記できる力」など要求されますので、だれでも務まるものではありません。

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