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2008年9月22日 (月)

雑草という名の花はない

「雑草という名の花はない」というのは、確か昭和天皇の言葉と記憶しているのですが、道端の名も知れぬ花に、何気なくちょっと足を止めて観察する、美しい姿勢が目に見えます。大覚寺の僧正さんの書にあった「月は美しい、花も美しい。それに気づく心が美しい。」いうのを思い出します。

私は、研修の講師の先生にも、この姿勢を求めたいです。どんなに内容の充実した講義であっても、受講生ひとり一人の理解度や習得度を見てほしいのです。ときどき、受講生に関心をあまりお持ちでない先生に出くわします。講義の内容もさることながら、演習を多く取り入れ、受講生を巻き込む技術は素晴らしいものをお持ちなのに、なぜか一方的に研修が終わったという印象が残るのです。

研修が終わってから、受講生の理解度や習得度について伺うと、全体的な印象ばかり述べられ、具体的にどの部分がよく理解できて、その部分がいまひとつピンと来ていなかったとか、という問いに対しては、答えてくれないのです。受講生は喜んでいたから、いいのではないか、とおっしゃるのでしょうが、受講生は、あたかも、素晴らしいショーを見た後のように、「ああ、楽しかった。いい話を聞いた。」で終わっているのです。

このような先生は、自信満々で登壇され、受講生は、知らないことばかりだろうから、教えてやっているのだという態度で研修に臨まれがちです。もちろん、受講生から学ぶとうい姿勢はみじんも感じられないのです。不特定多数を集めてなされるオープンセミナーならいざ知らず、企業内の集合研修では、もっと、受講生を見てもらいたいのです。

受講生は「雑草」かも知れませんが、一人ひとりは「名前」を持っているのです。

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