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2008年7月28日 (月)

無駄な会議

ファシリテーションやミーティングマネジメントの研修では、受講後のアンケートに、決まって書かれることは、「とても良い研修だが、上司にも受けてもらいたい。」というものです。自分たちがミーティングを主宰するとき、いくら「会議の作法」を守っていても、その上の方々から召集される会議は、そうではないものがあるらしいです。

目的がわからない会議、議題を前もって示されない会議、最初から結論が決まっているような会議、時間ばかりかけて結論が出せない会議。上の方は、もちろん理由があって開催されるのでしょうし、私たちが「無駄な会議」と決めつけても、主宰者は、そうは思っておらず、むしろ私たちの会議こそ、大した内容を討議していない「無駄な会議」として見られているのかも知れません。

では、「無駄な会議」とは、「何が」無駄なのでしょうか?「何故」無駄なのでしょうか?

「無駄な会議」は「必要のない会議」ということでしょうが、それでは「何故」必要がないのでしょうか?必要がないのに「何故」やるのでしょうか?「慣例」だからですか?「形式が存在する」からですか?それなら「何故」形式が必要なのですか?

「仕組みができていない」と会議は「属人的」になり、偉い人や話の長い人が一人でしゃべります。上から下まで「何故」をやらないと、属人的な、人に流されがちな「無駄な会議」は無くならないと思います。

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2008年7月21日 (月)

会議の作法

会議で大切なことは、その会議で「どのような結論を出そうとしているのか」が、いつも、参加するメンバーに認識されていることです。

司会で大切なことは、「配分」だと思います。話題の配分、発言者の配分、時間の配分などで、「残るもの」がないようにしなくてはなりません。

討議で大切なことは、「自分の立場から主張すること」です。とくに、いちばん、そのことに精通しているという立場で、発言してほしいです。

まとめで、大切なことは、「対立」が明確になっていることです。対立の立場にしたがって、整理をすれば、全ぼうがわかりやすくなるはずです。

決定で大切なことは、「選ぶこと」。いちばん効果を大きくもたらすものか、いちばん損失を小さくするものの、どちらかを選べばよいのです。

なのに、どうして、「無駄な会議」が多いのでしょうか?

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2008年7月14日 (月)

誉め言葉の達人

コミュニケーション・スキルの向上研修では、いつも「相手の誉め方」というのが出てきます。これは、単に、儀礼的に「誉め言葉」を使うのではなく、相手を思う気持ちから、「素直に出てくる言葉」でなければなりません。ビジネス環境においては、その人の取った態度や行動、仕事に取り組む姿勢や表情、仕事の成果に対して、自分の気持ちを心から述べるものです。

日ごろから相手を見てあげていないくせに、外交辞令的な誉め言葉を使う人がいます。そのような人は、いつも決って誉め言葉が同じか、パターンが少なく、何となくうそっぽい気がします。特に、スーツやシャツなどの服装しか誉めることができない人は、この傾向があるようです。

うちの社にも「誉め言葉の達人」と呼ばれる部長がいます。誉め方がうまい、というより、仕事振りに対して実にタイムリーに部下を誉めることができる人で、人前で誉めたり、人のいないところで本人に直接に言ったり、誉めるTPOも、ちゃんとできているようです。

誉められた人は、「ああ、部長はいつも自分のことを見てくれている」ことがわかり、とても親近感が湧いてきて、その部長に対して、部下として報告、連絡、相談も、スムーズにできる、というのです。
この前、この「誉め言葉の達人」に、お話を聞く機会がありましたので、その秘密を伺ってみました。

上手な誉め言葉を教えていただこうとしたのですが、驚いたことに、彼は誉めることを、意識していないというのです。「強いていうなら、仕事をさせている部下を、いつも見ていることぐらいだ」というのです。そして言われたことは「君は、家に帰ったとき、奥さんを誉めていますか」という問いでした。
皆さんも、急に言われても、なんだか気恥ずかしくて言えないか、誉め言葉を思いつかない方が多いのではないでしょうか?

彼がいうには、なにも改まって誉め言葉を探さなくても、日ごろ家庭のことを任せきっているなら、あなたにしてくれたことを言葉で言い表せば良いといのです。「ああ、風呂を沸かしてくれたんだ」「シャツのアイロンをかけてくれたんだ」「部屋の掃除をしてくれたんだ」と、気がついたことをどんどん言葉に出して言えば良いというのです。

彼が教えてくれた万人に通じる誉め言葉は、「ありがとう」という言葉ではないでしょうか?

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2008年7月 7日 (月)

研修での拍手

通常、講演のスピーチでは、話の内容もよく、話し方も上手だと、話が終わった後に、自然に拍手が起こります。これが研修となると、講師の先生が登壇されるとき、司会者がまるで、イベントであるかのように拍手を強要したりします。夏目漱石の「坊ちゃん」には、「(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもってむかえた」との記述がありますが、本当は、このように受講生が期待をもって迎えたとき、自然と巻き起こるのが「拍手」であるべきです。

もともと「拍手」というのは、西洋から輸入された習慣であり、日本では雅楽、能、狂言、歌舞伎などの観客は当時、拍手をしなかったようです。西洋人が音楽会や観劇のあと「マナー」として、拍手しているのに倣ったのでしょうか、明治中期以降に劇場などから一般化したものと思われます。

研修中の演習で、グループワークのとき、代表者が発表したりすると、決まって拍手をします。これは、話の内容の良し悪しに関係なく、発表したことに対する拍手で、講師の先生が先導したりするから、形式的なもののようです。

きょうの研修は、外部講師の先生でしたが、「拍手の大きさ」についてコメントされていました。それは、発表を聞いて、なるほどと思えるなら「大きな拍手」を、そうではないときは、拍手の大きさで応えなさい、というものです。これにより、発表者は「ただ発表すればよい」という考えから、「発表に値することを、まとめて発表するのだ」という考えに立つそうです。

グループの代表者は、たまたま「発表する」役柄から、正に「代表」としての自覚をもたねばなりません。ある意味、モチベーションがかかったいい研修だなぁ、と思えました。

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