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2007年9月25日 (火)

挫折の味わい

私は研修担当なので、あまり政治のことを書きたくないのですが、最近、巷では、二世議員が多くなり、人材がいないといわれています。なにもすべての二世、三世の方が、そうだとは言い切れないのですが、胆識のある政治家が出てこないのは、地元の「おらが先生」の選び方にも影響しているのかも知れません。

政治家の過程で育った彼らは、押しなべて、苦労を知らずに、ここまできたのだから、育ちがよくても、庶民の苦労などわかるはずがない、というのも当たっているかも知れませんが、大切なことは、裕福であれ、清貧であれ、今までにどれだけの挫折を味わってきたかにも夜と思います。

彼らが育っていく家庭で、いろんな難しい局面に出くわします。そのときに、親はもとより、周りの人が、本人が挫折する前に、手を差し伸べることが多かったのではないでしょうか。このことは、何も政治家の世界だけでなく、わたしたち一般人にでも当てはまることです。

昔と違って、みんなが裕福になったおかげで、手取り足取りの育て方が多くなったのではないでしょうか?おかげで大した挫折を経験せずに育った彼らは、言うことは立派で、自尊心は結構つよく、回り人から浮いてみえても、気に留めることもなく、どんどん仕事を進めてゆくのですが、ちょっとでも失敗すると、「もう俺はダメだ」と急に意気消沈してしまうのです。

挫折を知らない子供たちが、どんどん社会人になってくるのを、どう扱えばよいのでしょうか?

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2007年9月17日 (月)

セクハラ?エクハラ

「セクハラ」はご存知のように「セクシャル・ハラスメント」の略ですが、最近、社内で、これをもじって「エクハラ」という言葉が流行っています。

エクハラとは「エクセル・ハラスメント」の略だそうで、何でもエクセルで文書や細かいデータ表を作成して、相手かまわずメールでどんどん送りつけられることによる弊害です。

ご本人にとっては、メールでわかってもらうために、これだけの資料を準備したのだから「意見が欲しい」とか「どう思うか」など、相手の時間や意思疎通なしに、あたかも「土足で踏み込む」ように、仕事を勝手に振り込んでくるのです。

確かにメールは電話と違って、相手の在席の如何にかかわらず伝達できる便利なツールですが、何の前触れもなく「お伺いを立てる」ために使われるのは困りものです。ませに「エクハラ」です。

コミュニケーションの苦手な人に多いようですが、こういう人に限って、パワーポイントなんかで資料をいっぱい作って、これ見よがしに送ってきます。これもパワー・ハラスメントでなく、パワーポイント・ハラスメントで、まさに「パワハラ」です。

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2007年9月10日 (月)

全体像を描けない人

特定分野について上司より詳しいだけで、自分は上司より仕事ができると勘違いする人がいます。そういう人は、目の前の仕事を完璧にこなそうとすることにこだわるあまり、全体を俯瞰して、絵を描くことができないようです。残念ながら、実は、優秀だといわれる人に多いようです。

定型的な仕事で必要とされる優秀さと、プロジェクトを成功に導く優秀さとは異なることすら、わからないようで、与えられたり、指示された仕事は無難にこなせても、枠組みをつくることは苦手のようです。ある事業部のトップに聞いた話ですが、そういった「全体像を描けない人」は「枠組み」の意味がわからないので、仕事を教えても無駄で、新卒入社のときに「枠組み」を教え込むべきだ、と注文をつけられました。

考えてみると、組織はあっても、上司は、仕事は俗人的に与えたくなるようで、逆に、「全体像を描ける人」には、どんどん、仕事や情報が集まってくるようです。経営者になったつもりで仕事をするように、とよく言われますが、全体を俯瞰できない人には、無理なことだと思います。

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2007年9月 3日 (月)

大山参り

きのう伊勢原の大山不動に行ってきました。今年に入り9回目です。ご存知のように、大山は雨降り(あぶり)神社が有名ですが、大山寺はその霊峰大山の中腹にあります。小田急「伊勢原」駅からバスで30分、そこから20分ほど、みやげもの屋さんが立ち並ぶ階段の多い小道を過ぎるとケーブルの乗り場に行き着きます。ケーブルの終点が「雨降り神社」ですが、大山不動はその中間駅になります。

江戸時代には、落語にも登場しますが「大山参り」といって下町であちこち講が組まれ、お伊勢参りとは行かずとも、江戸の庶民の人は、大山詣でを楽しみにしていたようです。そのころは、大山のいたるところに神社やお寺が存在していましたが、明治の神仏混合廃止の令により、大山=雨降り神社となり、大山寺は寂れた存在になりました。

ですから、ほとんどの方はケーブルの終点の雨降り神社を目指しますが、私は大山不動だけです。と、いっても特にお願い事をするわけでなく、ただただ今日あることを感謝するだけだけです。紅葉の頃になると、テレビなどで紹介された次の休日には、大勢の人が繰り出します。私は、そのときだけでなく、もう30年以上、毎月のように通っていて、もう200回は超えていると思います。

別に宗教がかったことではありませんが、妙なもので、最近は月に一度は、そこに行かないと何か落ち着かなくて、ついつい通ってしまいます。それでスッとして戻ってきて、新しい気持ちで明日を迎えられるのです。思うに私は、お不動さんに向かって「今日あることを感謝する」と同時に、口にださずとも、これからの自分のしようとしていることを自己宣言しに言っているのかも知れません。

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